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INTERVIEW

Vol.79 TAKURO WEBインタビュー

スティーヴ・ルカサー(TOTO)×TAKURO対談

2019.6.21


スティーヴ・ルカサー
1957年10月12日生まれ、米カルフォルニア州出身のミュージシャンでありギタリスト。
1978年にロックバンド「TOTO」でデビュー。1982年に発売された、4thアルバム『TOTO IV〜聖なる剣〜』では、同年のグラミー賞で6部門を受賞し、大きな注目を集めた。
またギタリストとしても、マイケル・ジャクソンなど数々の有名アーティストのセッションに参加するカリスマ的存在である。

今回はあくまで“対談”ですので、基本的にはお2人でご自由に話を進めてください。僕はあくまで交通整理役というか、ときどき口を挟ませていただくことになると思います。

LUKE
ああ、どうぞ。好きなようにやってくれ。どんな話題を振ってもらっても大丈夫だ。何でも訊いてくれ。ただ、俺の回答には気を付けてくれよ。期待していることは言わないかもしれないからね(笑)。俺はちょっとクレイジーだからな。なにしろツアー生活を43年も続けているから。まあ、昔ほどクレイジーではなくなっているけど。

TAKUROさんもまた、この生活を20数年にわたり続けてきているわけです。

TAKURO
ええ、25年になります。まず今、スティーヴさんに言いたいのは、僕の拙い英語をご容赦ください、ということで。

LUKE
いや、問題ないよ。それにキミは、着ているものがとても素敵だ。見るからにロックスターのようじゃないか!

TAKURO
恐縮です(笑)。実はTak Matsumotoから、よろしくと伝言を預かっています。彼は、僕の親しい友人のひとりなんです。

LUKE
そうなの? 彼はブリリアントなミュージシャンだ。Takのことはよく知っているし、大ファンだ。俺にとっても最も親切な人間のひとりだといえる。あれは5~6週間前のことになるのかな、TOTOで武道館でプレイした時、彼は会いに来てくれた。すごく奇妙だったのは、彼がずっと同じ部屋にいたのに気付かずにいたこと。俺は他のやつらとのお喋りに花が咲いて、彼がそこにいることに気付かなかったんだよ。そこで誰かが、「LUKE、あそこにTakがいるぞ!」と声を掛けてくれて、「おい、何をやってるんだよ!」ということになった(笑)。俺、老化が進んでるんだ。何も覚えられないんだよ(笑)。

TAKURO
彼は僕に言っていましたよ。とにかくあなたは紳士ですごく良い人だ、と。

LUKE
僕からもよろしく伝えておいて欲しいな。また会うのを楽しみしている、とね。実は彼にディナーを奢らないとならないんだ。本当だよ。(笑)というのも前回は彼が奢ってくれたから、今度は俺が奢る番なんだ。

TAKURO
ええ、彼から聞きましたよ。一緒にレストランに行かれたとか。

LUKE
素晴らしいレストランに連れて行ってくれた。すごく楽しかった。実のところ、数年前の彼の英語は、やっとそれなりになりつつある、という感じだったけども、今はかなり上達している。だけどおかしいのは俺たちがお互いに同じようなことを言い合っている、ということ。「俺の英語は……」「いや、俺こそ日本語ができないし」みたいにね。そこで2人のギタリストが、ほとんど身振り手振りと感覚だけで会話をして楽しんだ、ということなんだ。時には言葉以上にそれがモノをいう。だから俺には理解できたんだよ、彼の言うことが。俺が彼に対して話せる以上に。そのことからも、言語よりもヴァイブのほう重要だということがわかる。俺は彼が英語を喋らなかったとしても好きだ。そして、俺は日本語を喋らない。2人ともほとんど同じだよ。

今回、TAKUROさんはTakさんのお世話になっているんですよね?

TAKURO
ええ。彼は僕のソロ・アルバムのプロデューサーなんです。1枚目も2枚目も、彼がプロデュースしてくださって。

LUKE
ああ、(彼がプロデューサを務めているということは)やっぱりキミはロックスターなんだな。どうりでそれっぽく見えると思ったよ。実際にそうなんだな。許してくれ(笑)。

TAKURO
いやいや(笑)。7年ほど前から、僕はジャズやブルーズもプレイするようになりました。もちろん最初はロックンロールからプレイし始めたわけなんですけど。

LUKE
俺もだよ。すべてはBEATLESから始まった。そして今、俺はBEATLESのメンバーのひとりと一緒にここにいる(=リンゴ・スターのツアーに同行)。

TAKURO
最高です! 実は僕、BEATLESのファンクラブの会員なんです! 今なおシネ・クラブとかに入っているんです。

LUKE
面白い話がある。誰かからのもらいものを、俺はリンゴにあげたんだが、それは小さなピン・バッジでね。1964年か63年の、オリジナルのBEATLESの小さなピンなんだよ。 

TAKURO
それはすごい!

LUKE
リンゴは「これは100年前以来、見たことがない」と言っていたよ。彼のためのプレゼントを買うのは難しいんだ。なにしろ彼は何でも持っているから(笑)。

TAKURO
そうですよね。あなたが十代の時にいちばん好きだったアーティストはBEATLESだったんですか?

LUKE
ああ。7歳か8歳の時にテレビの『エド・サリヴァン・ショー』でBEATLESを見たんだ。そこからは、お決まりのコースだよ。俺の年齢で音楽をやっているやつは全員がそうだったように、あれで俺の人生のスイッチが入った。モノクロだった人生がカラーに変わった。ジョージ・ハリスンを見て、俺もああなると決めたんだ。俺の奥深くにある何かに触れるものがあったんだよ。言葉ではうまく説明できないけども、とにかく「ああ!」と思った。その瞬間からすべてが始まり、俺は9歳で最初のバンドを組んで、11歳の頃にはもうバンドで稼いでいた。かなり奇異なことではあったよ。ロック・バンドでプレイしている11歳のやつなんて、他にいなかったからね。1968年のことだ。初めてプレイした時から、クラブに集まった女の子たちは、まるでBEATLESに対して叫んでいるように大騒ぎしてくれていた。実際には下手くそな物真似だったかもしれないけれど、俺はちょっとざわつく感覚をおぼえて、「おお、これだ!」と思ったよ。両親は俺が医者か弁護士になることを夢見ていたようだけども(笑)。

TAKURO
ははは! 僕の両親もそうでしたよ(笑)。

LUKE
ああ、そういうもんだよな(笑)。

TAKURO
そうですよね。僕のBEATLES初体験は……

LUKE
キミはまだそんなに歳は取ってないだろ? 俺のほうが断然年上だ。

TAKURO
最初の出会いは、学校の音楽の教科書でしたね。そこに“Yesterday”とかが載っていて……

LUKE
日本の人たちはBEATLESにすごく思い入れがあるんだろ? 俺は知ってるよ。ミスターUDOが1966年にBEATLESを日本に招聘したのを俺は知っている。彼らはこのホテルに泊まったんだ。昔のキャピトル東急だよ。俺自身が日本に来た時のことも憶えてる。最初は1980年だった。何よりもすごいことのひとつは、彼らの音楽は世代やスタイル、トレンドを超越しているということだよ。何もかも、彼らがスタートさせたんだ。彼らがいなかったら、俺たちの誰もここにはいなかっただろう。まさに俺にとって、俺たちにとってのクラシック音楽だよ、BEATLESというのは。

TAKURO
日本の人たちにとっても同じだと思います。BEATLESはとても深くて、とても大きくて、僕の精神的な教師とでもいうべき存在ですね。

LUKE
わかるわかる。俺にとってのBEATLESは、熱狂的すぎる幻想、という感じかな。

TAKURO
ここで難しい質問をさせてください。あなたがいちばん気に入っているBEATLESのアルバムはどれですか?

LUKE
わあ、厄介だな。それは自分の4人の子供のうちどの子がいちばん好きかと訊かれるようなものだ。クレイジーだ。不可能だよ、それに答えるのは。

TAKURO
やっぱりそうですよね(笑)。

LUKE
だけど、やっぱり最初に響いたものというのは大きいと思う。俺の場合、「MEET THE BEATLES」が最初だった。あるギター・ソロに心惹かれ、それが傑出していたから、何度も何度もかけたんだ。親を苛立たせることになったよ(笑)。だけど、そこから始まって、俺はBEATLESの4人のうち3人と一緒に仕事ができるという栄誉を得るまでになった。まずポールで、次にジョージ、そしてリンゴだ。リンゴの最新アルバムでは、俺はリンゴと一緒に1曲書き、その曲ではポールがベースを弾いている。俺がいて、ポールの音がそこに一緒に重なっているんだ。実現可能だとは思ってもみなかった幻想が現実になった、ということだよ。俺にはそういう素晴らしい名誉に浴しているんだと自覚があった。それこそがおそらく、リンゴが俺にプレゼントしてくれた最高に素晴らしい贈り物だったと言えるだろう。俺は実際、泣いたよ。彼からその話を聞いた時にね。ものすごく感動した。「こんな素晴らしい栄誉を与えられる資格があるようなことを、果たして俺はやったんだろうか?」と思うほどだった。

TAKURO
今、僕はこの場でそれと同じような感覚をおぼえています。なにしろあなたは僕のヒーローですから。

LUKE
うわあ、ありがとう。なんて親切なやつなんだ!

TAKURO
ははは! いや、これは本当の話ですから。

LUKE
素晴らしいギター・プレイヤーがこんなにも大勢いるというのに? まずエリック・クラプトンがいるよ。彼は俺のヒーローだ。俺は今も音楽ファンなんだよ。くたびれた年寄りじゃないんだ。素晴らしい誰かに会うと、俺は今でも幼い子供のようになるんだ。「わあ、彼は最高だ! 俺にすごく親切にしてくれた!」とね。

TAKURO
実際、僕は今47歳なんですが、十代を80年代に過ごしてきたんですね。だから誰もが……。当時の僕はよくラジオを聴いていて、あなたの曲、あなたのプレイからすごく刺激を受けて……

LUKE
ああ、ああ。俺の他のメンバーたちもセッション・ミュージシャンだったからな。あの時代の俺は、どんなレコードでもプレイしていたもんだよ。すごく楽しかった。最高の時代だった。

当時、すごい作品のクレジットには常にスティーヴの名前があったものです。

TAKURO
ええ、クレジットをチェックして、「わあ、スティーヴ・ルカサーだ! あっ、このアルバムでも弾いてるの?」とか思っていたものです。どのアルバムにもあなたの名前がありましたからね。

LUKE
クラブ(=選ばれし者たちの域)に入ろうとするようなものだったよ。

TAKURO
ラリー・カールトンとのセッションも印象に残っています。

LUKE
彼は俺にとってのセンセイ(=先生)だね。

TAKURO
実に素晴らしいです。テレビで観たんです。WOWOWか何かだったのかな。あなたとラリーさんのインタビューを。僕にとってはあなたこそ先生というか師匠のようです。

LUKE
俺は18歳の時に、ジェフ・ポーカロを通じラリーと出会うことができた。幸いなことにロサンゼルスに住んでいて、ハイスクールでやっていたバンドがそのままTOTOになったんだよ。

TAKURO
確かあなたが17歳ぐらいの時の話ですよね?

LUKE
ああ。その頃にはすでにみんなと出会っていた。なにしろジェフと知り合ったのは俺が15歳の時だった。スティーヴ・ポーカロを介してね。そしてスティーヴ・ポーカロからデヴィッド・ぺイチを介して……という具合にね。ジェフ・ポーカロはハイスクールに在学当時からすでにSTEELY DANにいたんだよ。だから、これが俺たちが進んでいくべき方向だと理解したんだ。そうやってTOTOは始まった。

TAKURO
まさしくロックの黄金時代ですね。

LUKE
しかもロサンゼルスに住んでいた恩恵で、ジェフ・バーリン、リー・リトナー、ロベン・フォードといった人たちがクラブでプレイするのを観に行くことができたんだ。飲酒できる年齢になるまでは外にいたけどね(笑)。友人のマイケル・ランドウと一緒にね。あいつとは12歳の時から一緒に育った仲なんだ。

TAKURO
あなたとマイケル・ランドウが一緒に学校に?

LUKE
ああ、12歳の時からだよ。俺たちはよく一緒にライヴを観に行ったものだ。大昔のことだがね(笑)。マイケルは俺の大好きなギター・プレイヤーの1人であり、それ以前に大好きな人間だ。当時の俺はそういった近所のやつらと一緒にプレイしていたわけだけど、結果的にはそこにいた全員がこの世界で成功している。みんな、ハイスクールのバンドで一緒にプレイした仲だ。

TAKURO
僕は今、実はロサンゼルスに住んでいるんです、家族とともに。
そして僕は毎朝、子供たちを学校に送っていく時にラジオを聴くんですが……。

LUKE
…ところでshitって日本語で何と言うんだい?(笑) ラジオでかかるのが全部shitというわけじゃないよ(笑)。ただ、俺はもう年寄りだからな。キッズの音楽は好きにはならないことになってる。言いたいことはわかるだろ?

TAKURO
聴こえてくるのはギターが入っていない音楽ばかりで……なんだかちょっと悲しくなってしまいます。

LUKE
いや、戻って来つつあるよ、そういう音楽も。俺の息子のトレヴとマイク・ポーカロの息子のサム、そしてONE DIRECTIONのバンドのドラマーがZFGというバンドをやっているんだ。素晴らしいシンガーと一緒にね。えっと、名前はジュールス(Jules Galli)だったかな。彼らはレコードを出したばかりで、ビルボードなんかのチャートでもトップ30に喰い込んだよ。音楽的には、ハード・ロック・バンドを従えたEARTH, WIND & FIREとでもいう感じかな。

TAKURO
それは良いニュースですね。でも、本当にときどき悲しくなるんですよ。

LUKE
戻ってくるよ。振り子って知ってるだろ? あれと同じで、揺れてまた戻ってくるものなんだ。

TAKURO
なるほど、そういうものですか。

LUKE
特定のサブ・ジャンルというのがある。EDMだったり、ポップ・ミュージックだったり、ラップ・ミュージックといったものが常にね。メタルもそのひとつだ。で、それが何だろうと、人々はギターが聴こえないのを寂しく思っているよ。その証拠に、俺のバンド、TOTOのライヴには、一時よりもずっと若い聴衆が来るようになっているんだ。みんな、観に来たいんだよ。「わあ、あの年寄りたちを見てみろよ、本物の楽器を演奏してるぜ!」という感じで興奮していてね。たとえばこの前、12月と1月にオーストラリアでフェスティヴァルに出たんだ。客層は18歳から24歳までのキッズが中心で、俺たちの前に登場したやつらは、揃いも揃ってラッパーやらEDMやら機械的な音楽ばかりで、ただボタンを押すだけの演奏をしていた。プロトゥールズに前もってレコーディングされているからだ。そんななかで俺たちが出ていって演奏したら、オーディエンスは熱狂していたよ。彼らは俺たちがやるような本物のライヴ演奏を観たことがなかったからだ。逆に俺たちも圧倒されたよ。なにしろ「ギャーッ!」と叫ばれるんだからね、若いオーディエンスに。「こいつら、俺たちに対して熱狂してるのか? こっちは年寄りの集まりだぞ!」という感じだった(笑)。あの経験はすごく励みになったよ。要するに今の若い世代は慣れていないんだよ。彼らがこれまで受け取めてきた音楽は全部フェイクだったわけでね。俺たちは実際にステージの上で演奏して、正真正銘のジャムをしていて、毎回同じことを繰り返すわけでもない。即興演奏もするし、時にはアクシデントも起こる。だけど俺たちは、きわめて高いミュージシャンシップのおかげで、どこにでも進んでいけるんだ。

TAKURO
ええ、ええ。

LUKE
つまり俺たちは今でも、いわゆるロックンロール・バンドなんだよ。実際にショウに来れば、それ以上のものがあるんだよ。

TAKUROさんは、本物の楽器の音がラジオからあまり聴かれなくて寂しいと思ったかもしれませんが、LUKEさんの言葉を聞いて、勇気づけられたのではないでしょうか。 

LUKE
正直に言わざるを得ないが、今の人たちのほとんどはSpotifyとかストリーミングを使って、誰でも好きなものを聴いているんだよ。そういうことがちょっと手軽になっているんだ。そこで音楽の作り手側も、誰かの支配下にあるわけじゃないし、時代の先端を見きわめようとする批評家たちに好印象を与えようとする必要はないんだ。俺たちはそういったことをくぐり抜けて生き残っている。ああいった連中は1978年には俺たちを抹殺しようとしたけども、俺たちは今もここにいる。ただ、そうして生き残ってきたというのに、いまだに俺たちは連中から叩かれるんだ。すごく滑稽だよな、今でも俺たちを批判しようとするやつらがいるなんて。

TOTOのやつらには何の意味もないとか、音楽に何の貢献もしていないとか言うんだ。本当にそう思っているのなら、俺たち全員のディスコグラフィを見てみればいい。俺と同じバンドにいたことがある全員の、最初から今現在に至るまでの全員がこれまでに出してきたアルバムを集めたら5,000万枚ぐらいにはなるはずだ。なかには史上最もビッグなアルバムだってある。(マイケル・ジャクソンの)「THRILLER」だってそうだ。歴代の売上げトップ10のレコードを見てみたら、ほぼすべて俺たちが関わっているよ。そんな作品が山ほどあるのに、無意味だとけなされる。スタートから43年経った今でもここにいる俺たちのことを、どうして何の意味もないとか言えるのか? ああいうのにはいつも……何故なんだよ、勘弁してくれよ、と思わされてしまう。俺たちにも多少は尊敬されるべき値打ちがあるはずだ。ほんの少しでいい。ただ、おだててもらいたいわけじゃないんだよ。

尊敬している人もたくさんいますし、TAKUROさんもその1人ですよ。

LUKE
おだてて欲しいわけじゃない。だが、多少は敬意を払ってもらう値打ちは俺たちにもあると思う。良い時も悪い時も、ずっと頑張ってきたんだから。そして今は、復活を楽しんでいる。“Africa”という曲がひとり歩きを始めるというクレイジーな現象が起こって、俺たちは単純に、えらく愉快だと思って見ているけれど、ビジネス上はそれも好都合だ。良いビジネスに繋がっている。

口を挟んでもいいでしょうか?(笑)LUKEさんは日本に何回もいらしていますし、日本のミュージシャンとも付き合いがあるはずです。そんななか、長年にわたって日本のシーンに対して疑問に思っていることなど何かありませんか?

LUKE
正直な話、俺は今ここで何が起こっているのか、何に人気があるのかといったことをよく知らないんだよ。もちろんTakのバンドは知っている。Charという素晴らしいギター・プレイヤーがいるのも知っている。彼とは80年代に仕事をしたよ。ブリリアントなギター・プレイヤーだし、本当にスウィートな人物だ。確かにこれまで、日本のアーティストとは何度も一緒に仕事をしてきたよ。YAZAWAとも昔、仕事をした。70年代と80年代の初頭以降には、よく彼と仕事をした。俺たち、楽しい時間を過ごしたよ。いつも楽しく仕事をしてきた。そして、俺は日本をホームのように感じているんだよ。1980年に俺が初めて来た当時、まだこの国はさほど西洋化されていなかったんだよ。まったくだ。マジカルな場所だった。わかってくれるかい? 俺自身もまだ22~23歳でね。子供が「わー!」とはしゃいでいるような感じだった(笑)。そして……何もかもUDOさんやソニー・レコーズのお陰だよ。彼らが俺たちの面倒を見てくれた。俺たちみたいなガキの集まりに、信じられないくらい素晴らしい時間を過ごさせてくれた。日本の聴衆もファンタスティックでね。なにしろ鉄道の駅で女の子たちが叫んでいるんだぜ(笑)。俺は40年以上、少なくとも年に1回はこの国に戻って来ているよ。俺を遠ざけることはできない(笑)。今回なんか、6週間のうちに2回来ているんだからね。また来て楽しむぞ(笑)。

TAKURO
前回はTOTOとしての来日、今回はリンゴとの来日ですよね。今回、あなた方が仙台や郊外のほうも巡演してきたと聞いて、僕は嬉しいんです。東京、大阪、名古屋のような大都市ばかりではなく。

LUKE
俺たち自身も気に入っているんだよ、こういったツアーを。

TAKURO
各地のみんなも、とても喜んでいますよ。あなた方のショウを、あなた方のプレイを実際に観ることができて。

LUKE
それは素晴らしいプロモーターの功績だよ。UDOアーティスツを運営しているすべての人たち、昔から馴染みの人たちのお陰だ。素晴らしい関係を築くことができているし、しかもそれが長きにわたって続いている。しかも日本のファンはとても協力的にサポートし続けてくれているし、次の世代にまでそれが広がっている。もしかしたら、さらにそのまた次の世代にまで広がっているのかもしれない。そういう人たちが俺たちの音楽を聴いてくれているんだよ。そんなこと、子供の頃は夢に見ることすらできなかったよ。俺たちのことをロック評論家たちや時代の先端を行くプレスの連中が何と言おうと、俺たちは世代交代を経ながら続いているんだ。

TAKURO
いやあ、素晴らしく紳士的ですね! いろいろな地方で幅広い層の人たちに素晴らしいプレイを実際に味わってもらうこと。それによって素晴らしい音楽が受け継がれていくことになるんじゃないか、という気がします。

LUKE
うん。彼らは興味津々なんだよ。「こいつら、何をやっているんだ?」ってね。まず、“Africa”という曲が改めて注目されているからね。何故、どういう経緯でそういうことになったのかは誰にもわからないが、無数ともいえるほどたくさんのカヴァーが登場していて、それによってあの曲が若い世代にも届き、「俺はこの人たちに興味があるぞ」ということになったんだろうな。で、それを機に別の曲を聞いてみたら、「あれっ? これはママの家でラジオで流れてたのを聴いたことがあるぞ。同じ人たちなのか?」みたいなことが起きたりするわけだ。

TAKURO
僕のバンドも同じような状況にありますよ。若い子たちが「GLAYって何だ?」と思ったら、実はお母さんがGLAYが好きだったとか。

LUKE
日本の人たちは忠誠心が強いんだよ。TOTOの場合で言うとヨーロッパのファンもそうなんだけど、一度好きになったら、ずっと好きでいてくれるんだ。

TAKURO
忠誠心がある。ええ、それはすごくわかります。

LUKE
いつも言っているんだ。世界の他の場所でどんなことが起こっていようと、俺たちは日本に行けるし、そこに行けば人々もみんな観に来てくれる、とね。その時期に、ヒット曲があろうとなかろうと。毎回そうだからこそ、戻ってくる価値があるんだ。それに比べるとアメリカは気まぐれだ。好きだと言っていたかと思うと、何かの拍子に大嫌いだと言い始めたりする。好きになったり嫌いになったりの繰り返しなんだ(笑)。

TAKURO
本当ですか? アメリカではそんな感じなんですか?(笑)

LUKE
けなされて、また支援されて。そんなことを取り返しているよ。だけど今では俺たちも、自分たちのキャリアをふたたび自分たちの手で管理できるようになったからね。マネージメントも自分たちでやっているんだ。俺たち全員がチームとして話をするんだ。ビジネスは変化しているし、それと共に変わっていかなくてはならない。上手くやるためには自分たちが自分たち自身にとってのボスにならないといけない。

TAKURO
ご自身で、マネージメント会社も運営しているんですよね?

LUKE
ああ、そういうことだ。

GLAYも自らのマネージメントを立ち上げてから久しいですよね。TAKUROさんご自身が、自ら会社を始めようと考えた切っ掛けは何だったんですか?

TAKURO
まず最初に、僕は自分のマネージメント会社を作ったんです。

LUKE
俺たちもそうだったよ。

TAKURO
十代の頃、僕はバンドの仲間たちに「よし、東京に行こう」と声をかけたんです。夢を掴もう、夢を実現させに行こう、と。それから東京に移り、最初の10年ほどはレコード会社とマネージメント会社に所属していたんです。

LUKE
うん、当然そういうことになるよな。

TAKURO
でも……なんか“ザ・ビジネス”という感じになってきてしまい……。

LUKE
稼ぎたかったら自分たちでやらないといけない。現実の話をすると、俺たちは当初、あくまで趣味として音楽活動を始めて、楽しんでいた。ただ、それがそのうちビジネスになってくると、そこにさまざまな問題が伴うようになってくる。なにしろビジネスというのは、利益が上がるレベルで維持していかなくては成り立たないものだからね。

TAKURO
まったくそのとおりですね。

LUKE
そこで俺には、むしろラップの連中から学ぶべきことがあったように思う。というのも、彼らが最初にやり始めたからね。彼らは自分たちでレコード会社をスタートさせて作品をリリースして、マネージメントも自らやった。オールドスクールな形でレコード契約をしている俺たちにはほんのわずかなパーセンテージでしか実入りがないのに、あいつらは何十億ドルも手にしていた。そこで「これは一体どういうことなんだ?」ということになったわけだよ。

TAKURO
はははは! 当然そういう疑問を抱くことになりますよね。今ではコンサートを行い、レコードを売って、その報酬を自分たちで管理することができています。昔の僕たちは、それをやっていませんでしたけどね。今では完全にコントロールできるようになっていて。予算面とかについても。

LUKE
なんか、俺たちが経験してきたことってよく似てるんだな(笑)。

バンドをコントロールする、ということ。もちろん最重要なのはクリエイティヴな部分であるはずですけど、それを全うするだけでは駄目だということなんですか?

LUKE
ああ。

TAKURO
あなたはどうやって切り抜けてきたんですか。ロックンロール・バンドというのは、とても複雑なものでもあるじゃないですか。

LUKE
複雑なもの? 質問の意味がよくわからないな。

TAKURO
ロックンロール・バンドとして転がり続けていくだけでも複雑なのに、さらにあなたはすべてセルフ・マネージメントしているわけですよね? どうやってバランスを取っているんですか?

LUKE
確かに大変ではあるよ。とても大変なことではある。ただ、今では俺も早く寝るし、早起きするしね(笑)。クレイジーな日々は遙か昔のことになった。喫煙も飲酒もクレイジーなことも、今は何ひとつやらない。それは若者のやること、若いうちにやることさ。もちろん楽しかったこともあるし、後悔していることもある。いろいろとクレイジーにやり過ぎていたことは認めるよ。

TAKURO
はははは!

LUKE
あまり良くなかった時代もあったし、今にして思えば恥ずかしいと思わざるを得ないことも多々ある。しかもそうした忘れ去られていた記憶が、YouTubeという奇跡のお陰で蘇っていたりもするわけでね(笑)。

TAKURO
ええ、ありがた迷惑なことに(笑)。

早寝早起きの習慣は、ご家族のためでもあるんでしょうか?

LUKE
うん。俺には二世代の子供がいるんだ。子供は全部で4人いて、そのうち2人は成人していて、1人は11歳、もう1人は8歳になる。だから今でも俺は、朝起きたら父親として車で子供たちを学校に送っていく。家にいる時の俺は、ごく普通の人間だ。そういうのも俺の人生における最高の喜びだよ。

TAKURO
ちなみに、お子さんたちの前でギターを弾くことはありますか?

LUKE
イエス。いや、イエスでありノーでもある。家に仕事部屋があるんだ。アンプに繋いで練習する時は、そこで……。一番下の息子は芸術的な子でね。非常に敏感なんだ。見た目では判らないけれどね。とても可愛らしい子供なんだけど、えらく聴覚が敏感なんだ。俺が仕事部屋で座ってあれこれやっていると、その息子が俺の後ろにこっそり来てギターのヴォリュームを上げるんだ。

TAKURO
はははは!

LUKE
仰天させられる。俺は、コンピューターの前に座ってビジネスのことをやっている時も、ギターはいつもスタンドに立ててあって、いつでもどんな時でもすぐに手に取って弾けるようにしてあるんだけど、そこに息子は入ってきて、低音を最大限にして大音量で弾いて、俺を死ぬほど驚かせたりする(笑)。下の子供はクラシック音楽が大好きなんだ。ピアノに興味津々という感じだね。1年以内には彼をじっくりピアノの前に座らせて……もしかしたら受けさせることになるかもね。今はようやく単語が読めるようになりつつあるところだけど、それが読めるようになったら、譜面も読めるようになるだろう。基本からやらせたいんだ。天才になるんじゃないかと期待してる(笑)。ちなみにいちばん上の息子は、すごくいいギター・プレイヤーでね。だけども娘たちまったく興味がなさそうなんだ。

TAKURO
なんと、そうなんですか(笑)。

LUKE
我が家の女性たちは、あくまで女性たちなんだ。ロックンロールはまだやってない。

TAKURO
なるほど。実は僕自身、長いこと自分のギター・スタイルについて悩んでいるんです。自分のシグネチャー・トーンとはどんなものだろう? 自分のスタイルは何だろう? そんなことを考えてしまう。あなたはいつそれを見つけましたか?

LUKE
育った環境とか育ち方に違いがあるから単純に比べることはできないよね。思うに君が育った少年期と俺の子供の頃にも違いがある。俺がガキの頃は、何をどうすればいいのか調べるためにインターネットを使うことなんてできなかった。

TAKURO
そうですね。僕の場合もそれは同じです。

LUKE
俺がガキの頃は、まずレコード・プレイヤーがあって、針を何度も何度も落として、BEATLESのソロ、エリック・クラプトンのソロ、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのフレーズを覚えようと苦闘したものだよ。彼らが俺にとっての最初のヒーローだったんだ。もちろんROLLING STONESもそうだ。そして、ラジオからはポップ・ソング、ロック・ソングが流れていた。だから、演奏の仕方を学ぶだけじゃないんだ。耳の訓練でもあったんだよ。時には間違ったまま覚えることもあるよ。でもそうやって間違いながら解明していくんだ。苦労を惜しまずにね。そして誰かを見つけることもある。近所にちゃんと正しく弾ける誰かがいると耳にすれば、そいつを探して話を聞いてみる。そこで「うわぁ、そうやってるのか!」と知ることになるんだ。俺たちはいつもそうやって、正しいやり方をわかってる目上の人たちを見つけて、そこから吸収してきた。それを習得すると、また別の誰かを訪ねて同じことをしていた。そうやって労力を惜しまずにいろいろな音楽に触れて、そして自分だけのものを開拓してきたんだ。それこそヴィブラートというのは弾き手それぞれの指紋みたいなものだ。まったく同じヴィブラートなんてふたつとない。だけど、今はどうだ? 誰もがインターネットで学ぼうとするんだ。このリックはこう弾くのか、とかそういうことをね。

TAKURO
ええ、確かに。

LUKE
俺が最初に覚えたのはコードの弾き方だったよ。曲のコードを弾く。まるでキャンプファイアを囲む時のように音楽みたいに輪になって座ってね。俺がBEATLESのこの曲の弾き方を知ってると言うと、みんなが「わあ、この子供はBEATLESの曲の弾き方を知ってるぞ!」と言ってくれたもんだ。だけどのちには、誰もが最初に習うのはエディ・ヴァン・ヘイレンの“Eruption”になった。

TAKURO
ええ、そうですよね。

LUKE
そこで、基本は素通りしてしまっている。Aから順に学んでZまで向かうべきなのに、途中を飛ばしてAからいきなりZに行こうとするんだ。その間にあるものが重要なんだよ。テンポに合わせて弾くとか、フィールを込めて弾くとかね。自分だけのスタイルを開拓して発展させるには、長い時間がかかるものなんだ。自分のスタイルというのは、自分で学んだこと、自分で聴いて楽しんだもの、それらのすべてから生まれるものなんだ。そして、何年も弾き続けることで発展していく。どれだけ速く弾けるようになるかの問題じゃないんだよ。それはスタイルじゃなく、テクニックだ。そのふたつは違うものだ。大きく違う。スタイルというのは自分のなかから出てくるものだし、いわばその人にとっての魂なんだ。

TAKURO
ソウル、そうですね。

LUKE
たとえばジミ・ヘンドリックスの曲について、俺が同じ音を弾いたからって、彼が弾いたのと同じように聴こえるわけじゃない。そうだろ? 同じトーンになるように目盛りを調節したとしても、やはり違う。そこに何か無形のものが欠けているんだよ。それは他の誰にもやることができないものなんだ。それが、あるスタイルを生み出した人のユニークさというものであり、その人にとっての指紋なんだ。そしてユニークさというのは、1人ひとりが持ち合わせているはずのものなんだ。

TAKURO
ええ、確かに。

LUKE
ただ、俺にはその教え方までは判らない。時にはそれを生まれ持っている場合もある。俺のお袋が19歳で妊娠した時、うちの祖母はかなり時代の先を行っていた。彼女はニューエイジのサイキックの影響をいくぶん受けていた。妊娠したお袋の腹に手を当てて、男の子だと言い当て、「この子はミュージシャンかな……。世界中で有名になる」と言ったんだそうだ。1957年のことだ。お袋は「私をからかってるの?」と言って、あまり喜んでいなかったそうだよ。しかも祖母は「この子が7歳の時に何かが起こる。それがこの子の人生を変える」と言ったんだ。俺はその年齢の時にBEATLESと出会っているんだ。

TAKURO
なるほど。

LUKE
そういったものは信じないと言うやつらもいるだろうが、実際にあったことなんだ。かなり幸運なまぐれ当たりだったのかもしれないし、本当に関係があったのかもしれない。わからないけどね。

TAKURO
奇跡的ですね。

LUKE
俺にはわからない。だが、そのとおりになったことを俺は嬉しく思っているよ。親父は、俺が9歳か10歳の時に初めてバンドでプレイした時、「息子よ、大人になったら何になるつもりだ?」と訊いてきた。俺は、ミュージシャンになりたいと答えたよ。BEATLESのようになりたい、ロック・バンドに入ってあちこちでプレイしたい、とね。親父はすでにテレビや映画の世界にいた。大勢の有名人との付き合いがあった。その親父が俺の頭をぽんぽんと叩いて、「成功する可能性はほとんどないぞ」と言った。そう言われて、息を吸う暇もないくらい即座に「それを成功を手に入れるのが俺だ」と言い返したんだ。だから、上手いだけじゃ駄目なんだよ。やる気がないと駄目なんだ。「ノー」という答えは受け付けない。君が両親にミュージシャンになると言った時、彼らは何と言った? 誰も成功なんかしない、クレイジーだと言ったんじゃないかい?

TAKURO
そうですね。

LUKE
そんなことをやって生活なんかしていけない、と言っただろ? だが、やれると信じなければ、絶対にやれないよ。だから俺の子供たちに対しては、どんな夢だろうと追い駆けろ、と全員に言ってある。惨めな気分で朝起きて、あれをやるべきだった、あれを試してみるべきだった、自分らしい生き方ができなかった、などと思うようにはなるな、とね。上手く行かなければ、別のやり方を見つければいいんだ。だが挑戦せずにいたら、子供の時に夢見ていたことを試さずにいたら、今の人生を無駄にしたことになる。それが俺の考え方だよ。とんでもなく馬鹿な考え方なのかもしれない。きっとそう思っているやつらが大勢いる。だが、とにかくそういうことなんだ。

TAKURO
パーフェクト! あまりにも完璧な答えでしたね。

TAKUROさんもバンド活動の他にソロの音楽活動を始めているんですが……

LUKE
そうなのか。俺たち、類似点がたくさんあるな。すごくいいことだと思う。クールだ。

TAKURO
あなたの言葉に励ましていただきました。ありがとうございます。

今日は興味深いお話しを目の前で聞かせていただき光栄でした。学ぶべきところもあれば、極上のコメディを観ているようでもありました。この後、ロサンゼルスに戻られたらお2人で是非、今回の話の続きを……。


TAKURO
いいですね。それが叶ったらとても嬉しいです。

LUKE
俺も楽しみにしているよ。

TAKURO
その時はTak Matsumotoも呼びましょう。

LUKE
いいね。Takにも、近いうちに会おうと伝えておいてくれ。

TAKURO
もちろん。今日はありがとうございました。

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