INTERVIEW
Vol.123 TAKURO ヒーリングアルバム第2弾『May Love Guide Your Way』インタビュー
TAKUROがソロアルバムとしては4作目、ヒーリングアルバムとしては第2弾となる『May Love Guide Your Way』を3月にリリースする。ピアノ、ギター、キーボードを主として構築された、実に美しいインストゥルメンタル作品であるのは前作『The Sound Of Life』(2022年12月リリース)同様だが、今作はTAKUROの心象情景をありありと追体験できるような、より深くパーソナルな作品に感じられる。
興味深いのは、GLAY30周年イヤーでマスに向けた華々しい活動を実現するため、準備に勤しんでいた激動の日々の中、この温もりに満ちたインストゥルメンタル・アルバムが生み出されていた、ということ。ヒーリング作品をつくりながら、その制作に没頭していることが自らのヒーリングになったと、インタビューでTAKUROは振り返っている。前作と今作の違いとは?インストゥルメンタル作品ならではの自由とは?制作の背景にあった想いや考えについて、じっくりと語ってもらった。
2026.2.10
- ヒーリングアルバム第2弾『May Love Guide Your Way』は、前作『The Sound Of Life』以上にメロディが情感豊かな印象を受けました。「Teardrop」「Jellyfish」「雨だったね」など、曲名に水を想起させるものが多いのも気になります。
- TAKURO
雨一つ取っても、一作目の時は自然の中で感じるものだったし、森の中に入っていった時の風の音とか樹々の揺らぎとか、そういったものと自分の音楽的知識を共鳴させてつくっていったんです。今回は、森とか山とか海とかいう大自然からちょっと出てきて、人里に来た時に感じる喜び、悲しみ、恐れとか不安とか、そういうところに自分の心を共鳴させてつくっていった。それが一番の違いですね。 前作は雨とか海とか、一曲ごとのテーマがもっとザックリしていた、というのかな。まるで占いで人をキャラクターごとに選別するみたいな感じで。
- 火とか水とか、エレメントで捉えるようなイメージでしょうか?
- TAKURO
そうですね。それが今回は少し変わってきて。
- その変化のきっかけは何かあったのですか? というのも、リリースは3年3カ月ぶりですが、制作は前作の完成から時間を空けずに始まった、と伺いましたので。
- TAKURO
例えば、GLAYのライブのSEとしてつくった 「Ghost of GLAY」をモチーフとして生まれた曲が、今回のアルバムに3曲収録されていて。それはやっぱり、自然そのものというよりも人の顔、人の心が見えているからなんですね。ロシアのウクライナへの侵攻(2022年2月)以来、自分が感じていた心の動きは(前作よりも)今作のほうがより色濃く出ているから、シンプルな“癒しの音楽”とはまたちょっと違ったものになったんだとも思う。本当はヒーラーに徹してあげられれば良かったんですけど、やっぱりつくっているうちに、自分の今持っている気持ちもどんどん(音に)映してしまって。
- 生身のTAKUROさんの感情が、避けようもなく溢れている、と。
- TAKURO
自分で感じる怒り、憤り、不安みたいなものを、今回はメロディに落とし込んでしまったな。それは自然なことだから、あえて止めもしなかったけれども。
- その一方で、『The Sound Of Life』には歌入りの曲があったので、より直接的な表現が含まれていた側面もありますよね?
- TAKURO
そう、だから分かりやすかったですよね。理解しやすい、してもらいたい、してもらえるだろう、という希望的観測も含めた想いが前のアルバムにはあったけど、今作はそこからもっと深くインストの世界に踏み込んだ、というか。世の中の複雑さみたいなものが、このアルバムにはより色濃く出たから。まさに“アルバム”とはよく言ったもので、自分の心の変化が写し出されていると思う。元々こういったインストの作品づくりで音符に向き合っていく時は、自分自身への癒し効果も絶対にあったので、30周年で忙しい中の気分転換にもなったしね。だって、同時期に「Dead Or Alive」(GLAYの63rdシングル)もつくっていたわけだから。
- ご多忙でしたよね。同じ時期に生まれたGLAY名義の「Dead Or Alive」とは違って、ソロインストで表現されているのは、TAKUROさんの、誰にも理解されない孤独な部分でしょうか?
- TAKURO
そうだと思いますよ。でも、表現されたとて……皆、自分がどれぐらい“繋がってる”と思っているんだろうね?自分の周りの人たちや世の中に「頼られて、必要とされて生きているんだ」とどれぐらい自覚できているのかな?って、いつも考える。絶対に自分じゃなきゃいけない理由は、言葉にすると何なんだ?というのは、インストをつくる時のテーマですね、ずっと。
- ヘビーな自問自答ですね。
- TAKURO
GLAYにいる時は、圧倒的な繋がりや絆を感じられるから。ファンの人ともそうだし、メンバーともスタッフともそうですよね。日常会話の中で「俺とこの人は、もう仕事を超えた心の友だな」と感じて、固い絆で結ばれているな、という気になる。けれども、一人でいる時に感じる孤独を、なぜGLAYにいる時のようなそれでは補えないのか?払拭できないのか?というのは、是非このインタビューを読む人たち全てに訊いてみたい。あなたはどこに所属していて、誰に必要とされて、どういう繋がりで、もしそれがないとしたらどれぐらい不安で、どれぐらい寂しいものなのか、それともそうでないのか。GLAYの肩書きがない時のTAKUROにはどれほどの価値があって、どれほどの魅力があって、どれほど大したことがないのか。そのことは、何歳だろうと、どんな学校に行こうとも、どんな社会に出ようとも、どんな賞をいただこうとも、自分の中にあると同時に「この答えを誰かと共有したい」というのがずっとある。でも、皆言葉が下手だから、誰も教えてくれない。分かる言葉で教えてほしいですね。
- ……きっと、孤独かどうかで言うと、誰もが元来孤独なんじゃないでしょうか。
- TAKURO
それ、百回聞いたぞ(笑)。
- でも、生まれ持った孤独という心の洞穴みたいなものから目を逸らすために、複数の役割を持ち、いろいろなところに所属して誤魔化しながら、孤独を感じることが少ないように工夫して生きていて。そのまま人生を終える人もいるでしょけれど、やはりどうしても孤独に苛まれる人もいる、その違いがあるだけではないでしょうか?
- TAKURO
あるいは、孤独ということ自体錯覚なのかもしれないよね。考えたことない?今こうして生きている自分たちは誰かのただの夢で、意識を持って自分のチョイスで生きているように思っているけれど、実は『マトリックス』(※1999年公開のアメリカ映画)で描かれていたような世界で。全部誰かの作り物で、インタビュアー気取りとアーティスト気取りがセリフを言わされている、というようなね。
- 最先端の量子科学では証明されているんですよね、「この世は幻である」と。
- TAKURO
それで言うと、「死は存在しない」というところまで行き着くわけだけどね。でも、その考え方は俺にとってはとても励みになる。
- 「寂しい」とかではなく、励みですか?
- TAKURO
全然、寂しいとかではない。もしくは、それを感じるのは人間だけという説もあるよね。どの動物にも親子愛はあるだろうし、友情とかもあるんだろうけど、基本的には「今日どう生きるか?」というのが重要で。ペットはまた話が違って人間に近いかもしれないけれど、地球上にいる人間以外のあらゆる動物にとっては、今日を生き抜くことと、子孫を残すこと、その二つだよね。そこに孤独が入り込む余地があるのか?って話で。だとしたら人間はあまりにも暇なんじゃない?というね。
- 脳が発達し過ぎたのか、その結果、野性が失われて動物としては退化しているのか。そんなことも考えてしまいます。
- TAKURO
もしかしたら動物のほうが進化していて、全部の答えが分かった上で究極はその二つなのかもしれない。今日一日食べる分を山だの海だのから獲って、それを家族、子孫に与えて「それで良し」とする。それができない、自分を含めた人間には実に興味が湧きますね。
- そこまで突き詰めて考えない人が大半かもしれません。
- TAKURO
でも一番怖いのが、ある日その疑問がドン!と来ることだよね。そうなった時に普段考えていない分、落差も大きくて耐性も無いから病んだり、大袈裟になったり、人間関係を壊してしまったりする。そんなようなことが(アルバムの)テーマにはなっている気がする。
- TAKUROさんが孤独に苛まれた時、ご自身が生み出したヒーリングミュージックが役立ちますか?
- TAKURO
そこに没頭していることがまずはヒーリングになりますね。俺の好きな芸人さんのラジオを聴いていてハッとしたことが一つあって。「日本のプロ野球の球団のファンの人たちが羨ましいし、幸せだ」と言っていたんですよね。1年に150試合ぐらいあって、毎日一喜一憂して、新しい選手が来たとか来ないとか、三振したとかホームランを打ったとか、試合は負けたけど内容は勝ったとか、そんなことを言ってその日一日、自分の情熱を注げるわけでしょう? 仰る通り、たしかに本数が少ないスポーツのファンだったら待ちくたびれちゃうよね。
- GLAYのファンの皆さんも、ライブも多くリリースも頻繁で信じられないぐらい充実したGLAYの活動を日々応援できるので、プロ野球の球団ファンと同じような喜びがあるわけですよ。
- TAKURO
その役に立っていられるなら、俺たちも逆に生きる意味、価値をそこに見出すことができるよね。
- ものすごい存在意義がありますよ。
- TAKURO
うん。それはTOKI(C4)さんにもよく言われて、頑張る源にはなるね。
- その事実はTAKUROさんを癒やしますか?
- TAKURO
もちろん、もちろん。だって、その期待に応えようとしている間は夢中だから、何も考えてないもん。だから、孤独だ何だと言っている俺みたいな人は暇になっちゃダメなんだよ(笑)。生きることに、誰かの期待に応えることにもう夢中になって、もしくは誰かを応援することに夢中な人が、今の世の中とても眩しく見えますよ、俺にとって。
- TAKUROさんは、そんなふうに無数の人々を現在進行形で幸せにしているGLAYの生みの親であり、リーダーなのですから、必要に決まっています!ただ、同時に思うのは、応援し続けたくなるような素晴らしい表現物を生み出しているアーティストは、間違いなく孤独を抱えているんですよね。
- TAKURO
そういう人たちは、流行をなぞる人じゃないですもんね。自分に対して真っ直ぐ表現に身を置こうとしている人たちのことは応援したくなるものだろうし。だから、皆が引き受けないその孤独との共存の仕方、みたいなところでしか感動は生まれない……というのは分かるんだけども。
- 孤独についてのお話には、答えは出ませんね。
- TAKURO
もう「答えが出ない」という答えに行き着いているので。「答えが出る」と思って生きていくのも一つのチョイスなら、「答えは無いんだ」という答えに辿り着くのも一つの生き方ですよね。
- すべてを手にしているように見えるメガバンドGLAYのリーダーが、孤独について考え続けている、そのこと自体に誠実さを感じます。
- TAKURO
誠実っていうのは、他者に対してってことでしょ? 自分の内なる世界ではそれを誠実とは呼ばないのでね。命題と言うには大袈裟な、きっと趣味の域じゃないかな?考え続けながらも、そのこと以外の生活は上手くやっているわけだから。ある意味、推し活じゃない?孤独という推しをスターにしようとして、何とか1位にしてあげようとしていて、それが自分の生きがいになっている、という。孤独って実に魅力ある商品でもあるよね。それを商品と感じさせず、「自分は誠実に生きているんだ」というふうな、何かしらのプライドも与えてくれる、どえらい発明品。
- アルバムについて、もう少し具体的な質問もさせていただきますね。制作は前作同様、キーボーディスト兼プロデューサーのジョン・ギルティン氏とやり取りをしながら進んだのですか?
- TAKURO
そうですね。もう2回目なのでグッとスムーズだったし、今回も作曲期間そのものは短く、1週間ぐらいでした。そこからアレンジや構成をいろいろとやっていって。今回はジョンの役割が前回より大きくなって、コ・プロデュースのような形になりました。前回でいくつかの成功体験があって、“人に伝わる”という感触を得られたのは大きかったですね。自分の中にこういう要素があって、それが日本のみならず確実に“届いている”感触があった、そのことが自分を一番励ましてくれて。マーケット自体はそれほど大きくはないのかもしれないけれど、多くの人に浅くではなく、届く人には深く刺さったと感じられたので。
- 何がそれを可能にしたと思われますか?
- TAKURO
ピアノとメロディとギターしかなくて、すごくシンプルだからね。メンバーの誰々の顔が好きとか、歌がいいとか歌詞がいいとかいう、GLAYの音楽がそういったたくさんの要素で“刺さる”のとはまた違った音楽の可能性があって、その魅力を教えてくれたのが前作で。「これはいいな」と思ったんだよね。
- 今作も本当に美しい曲ばかりで、メロディから多彩なイメージが広がります。例えばM6「Summer in a Bottle」は、詩的なタイトルも作用して、懐かしい記憶が呼び起こされました。
- TAKURO
メロディが呼び戻す、生み出す風景だったり、思い出だったり言葉だったり、それが今回はすごく太い、というのかな。言葉が無い分、状況を限定しないからどの国の人が聴いても何かしら呼び起こされる、想像し得るものがあると思います。
- TAKUROさんという稀代の詩人、言わば“言葉の人”が、インストゥルメンタルではその回路を封じているわけですよね。不自由に見えて、実は自由を謳歌されてもいるのかな?と想像しますが、どうでしょうか?
- TAKURO
まぁ、ずっと言葉の難しさとの格闘だったからね。国語の試験問題で、「静かだ」ということを他の言葉で言い換えてみて、というのがよくありますよね。
- 例えば、「音がしない」「無音の」とか。
- TAKURO
それをもっと詩的にしなきゃいけない、となると、やっぱりカロリーが高くなる。松尾芭蕉ぐらいまで行ったら「静かだ」で済むかもしれないけど、そういうわけにはいかないよね。「切ない」ということを、いつまでも「切ない、切ない」と書いてもいられないじゃない?
- その難題を、TAKUROさんはずっと問われ続けてきた、と。
- TAKURO
その労力に比べれば、とっても自由。心の解放にはちょうどいい。自分しか分からないこの気持ちを、“皆が分かる日本語”に置き換えなくていいんだもんね。
- “翻訳”しなくていい、という自由ですね。
- TAKURO
“翻訳”は難しい。した途端、他者との競合になるから。不甲斐ない政治家にちょっと物申したいと思って「ケジメなさい」と言いたいのに、マッチがもう既に歌っていて「カブッた」とか(笑)。インストにはそれがないもんね。
- かつ、受け手に誤読されて本意が伝わらないこともありますしね。言葉という回路を経ず、真意をそのまま音に封じ込めることができるのは、表現として純度が高いと言えそうですね。
- TAKURO
そう、高い。要素が少ないからね。バンドだったらドラム、ベース、ギター、キーボードがあって、歌があってコーラスがあってとか、一つ重なるたびに人の想いも乗るから広がってしまう。他者に理解されない代わりにミラクルも起きるんだけど、ミラクルが要らない時もあるから。ただ単に自分のことを純粋に伝えたいだけなのに、相手が過大評価してくれても困るし、過小評価されても困るなぁ、というね。それがインストの時はちゃんと的に当たる確率が高い。人の心に、お届け物として「これは林檎なんだ」と。だけど、バンドだったらそれがフルーツポンチになったり、アップルパイになったりもするから。
- 美味しい林檎ジャムになってみたり。それがバンドマジックなんでしょうけれど。
- TAKURO
もちろん、それはそれでうれしいんだけどね。ただ、「林檎のまま感じてほしかったな」って時もあるから。
- 前作よりも今作のほうが、よりTAKUROさん固有の表現でありつつ、普遍性も高い、ということでしょうか。逆説的にも思えますが。
- TAKURO
前作と今作の違い……自分の頭の中に存在する風景があって、それを見せられれば一番分かってもらいやすいし、『The Sound Of Life』と今作との違いも明確に伝えられるんだけど。う~ん……まぁ、譬えて言うならば、昨今の熊じゃないけれど、「TAKURO、人里に降りてきた」というのが今作ですね。山奥にいたのが前作だったら、人里まで降りてきて、人間社会との関わりができた、という感じかな。
- 愛という言葉がタイトルに入っていますし、人と人との間に生まれる感情が多分に含まれている、と感じます。
- TAKURO
「大自然に愛があるのかどうか?」という問いもあるしね。そういうことを考えながら生きていたら、人生あっという間ですよ。
- 人生はあまりに短く、時間が足りませんね。
- TAKURO
足りないので、行き着いた答えが答えであり、正解です!
取材・文/大前多恵