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INTERVIEW

Vol.120 函館市長 大泉潤×TERU 対談インタビュー

北海道・函館の大泉潤市長とGLAY・TERUが、函館市役所にて1年ぶり2回目の対談。8月1日(金)から5日(火)まで開催された函館港まつりでは、『第70回道新花火大会』でGLAYの楽曲と花火が競演したほか、祭りの夜を飾るパレード『ワッショイはこだて』では同タイトルのテーマソングをTERUが書き下ろし、更には山車も出場させた。観光地として輝く故郷・函館をさらに、アートで花開かせようとするTERUの「ビエンナーレ」構想、そして理想の未来像について。2人の函館愛が詰め込まれた対談の模様をお届けする。

2025.8.26

前回の対談ではどんな反響が?
大泉市長

まず「うらやましい」って言われましたよ。「ずるい!」みたいなね(笑)。GLAYさんの楽曲とかライヴは見てても、TERUさんの函館への想いとか未来構想は、たぶん前回の対談で知った人が多かったと思うんです。みんな驚いてるんですね。

TERU

僕らの音楽を聴いてくれている人たちは、函館を“GLAYの聖地”として見てくれていて、前回の対談では「大泉市長が思う函館と、GLAYが音楽で表現する函館がリンクした」ってみんな言ってくれましたね。

はこだて港まつりのパレード2夜連続出演が話題になりました。書き下ろした『ワッショイはこだて』に込めた思いは。
TERU

僕が昨年パレードに参加した時、もっともっと盛り上げたいって感じたんですね。それで、いま新しい「ワッショイはこだて」の曲を作ったらどうなるんだろう?って考えたときに、すごくワクワクし始めて。だけどそういえば、港まつりのパレードの「ワッショイはこだて」っていう名前が定着してないなと思ったんですよ。

大泉市長

ああ、そうかもしれない。

TERU

そうなんですよ。そこから曲作りが始まって、自分の函館愛を詰め込んだ曲に仕上げました。10年20年とみんなに歌われる曲になって欲しい気持ちがあったので、まず決意表明として「10年間必ずパレードに参加します」って伝えました。

未来志向というか、函館をアップデートしたいというような思いが?
TERU

そうですね。より人が集まる街にしたいっていうのもあったし、自分たちが18歳まで函館で生活して、毎年のように帰ってきてはいるんですけども、客観的に見始めた時に「すごく魅力がたくさんある街だな」って気づいて。その魅力を発信していきたいっていう思いから、YouTubeチャンネル『GENTEN.HAKODATE』https://www.youtube.com/@genten.hakodate)を始めたんですけれども。20年30年後には、その1万、2万人パレードが、5万人パレードになるんじゃないかなっていうぐらいの希望を持って、参加させてもらってます。

大泉市長

最初に音源を聴かせてもらったとき、言葉にしようが無いんだけど(拳を握りしめて)「キタッ!」て感じで。

(2人、笑)

大泉市長

もちろん音が格好いいし、覚えやすくて歌いたくなる。ものすごく嬉しかったし、期待とワクワク感がすごかったですね。



実際、パレードは相当な盛り上がりでした。
大泉市長

すさまじかったですね。

『第70回道新花火大会』ではGLAY楽曲と花火の競演も3回目となり、定番という感も出てきましたね。
TERU

“函館で産まれ育ったバンド”っていうイメージがファンの人たちの中にある一方で、僕らが東京で生活して30数年経つと、函館の人たちには“東京のバンド”っていうイメージも少しあったっぽいんですよ。でもやっぱり「俺たちの地元は函館なんだよね」っていうのを、もっとちゃんと伝えたいなと思い始めたのが、コロナ明けの初めての花火大会を見てた時で。その時に悲しくもGLAYの曲が一曲もかからなかったんですよ。それが逆にいいきっかけとなって、丁度一緒にいたTAKUROと「GLAYの曲流してもらえるんだったらやろうよ」って、その翌年から花火大会に協力させてもらいました。

大泉市長

毎回進化してますよね。実は最初に花火とGLAYさんの楽曲を合わせて聴いたのは2013年、あの緑の島の凱旋ライブのとき。あの時の花火大会で『Eternally』と花火っていうのを初めて見て聴いたんですよね。当時、僕課長だったんですけどね。なんでか理由わからないですけど、なんか泣けてきましたよ。

TERU

盛大に上げさせてもらったときですね。

大泉市長

その後、もっとたくさんの花火と曲のコラボレーションが3回続いて、どんどん進化してて。本当に有り難いし素晴らしいなと思います。

TERU

花火と言えば8月31日の函館 新花火のように、函館を盛り上げようとしてる人がたくさんいると感じた時、「そういう人をつなげることが大事じゃないか」と思って。若手ミュージシャンやアーティストなど、函館で活動する方をつなげようと、SNSで連絡取りまくってます。

大泉市長

そうなんですね。

TERU

そうなんですよ。何かが生まれるかもしれないって期待が大きくて。

大泉市長

ビックリしますよね。(突然DM来たら)最初嘘かと思うかもしれない。

TERU

それで一緒にご飯食べたりとか、今回の花火大会も「みんなで見よう」ってスタジオに呼んだら120人も集まって(笑)。函館で活動してる人たちをつなげてムーブメントを生み出そうって流れになってます。

そのムーブメントで、TERUさんプロデュースの『HAKODATE ART EXHIBITION 2025 ~ DREAMY』が開かれました。
TERU

大泉市長には毎回足を運んでいただいて、やっぱり市長が来てくれることによって、市民の皆さんが(エキシビションを)やってるんだって事に気付いてくれるんですよね。自分発信だとGLAYのファンの人たちには広がっていくんですけど、なかなか地元の方には伝わっていなくて。もっともっと市民のみなさんには伝えていきたいなと思うし、“GLAYのTERUのイベント”ではなくて、函館を盛り上げようとしてる人たちが動いてるイメージに持って行きたいので、まだまだ進化の途中だなっていうのは感じています。

大泉市長

今回、TERUさんの大森浜の絵がありましたね。風景画の展示は珍しいんじゃないですか?

TERU

ずっと函館の風景は書いているんですけど、まだ進化の途中っていうか、もっともっと勉強してちゃんとしたものを出したいと思ってたんです。でも、この進化途中の絵も30年経った時に案外、「あの絵あの時飾ってたな」ってなるかと思って、今回恥ずかしながら飾らせていただいたんです。

大泉市長

(これまでの展示は)心象風景が多いですよね。

TERU

そうです、はい。

大泉市長

たくさんのアーティストが作品を展示していて、僕も楽しみなんですよ。純粋に、一観客として楽しんでます。

それが2年後のビエンナーレに向けての着実な歩みなんですよね。
TERU

そうですね。前回、今年1月のVol.01(HAKODATE ART EXHIBITION 2025~DREAMY )から市の方々が本当に協力してくれました。毎回僕らが「こういうことしたい」っていうことを、いろいろと聞いていただいて、力を合わせながらやれている感じがあるので。この着実な歩みは、市のみなさんの協力があってこそなんじゃないかなあっていうのを、今すごく実感しています。
ビエンナーレも僕が発起人ですが、市と協力しながら市が運営するイメージのものにできると、地元の人たちも入りやすくなるんじゃないかな。市民のみなさんが動くビエンナーレを作り、世界からアート好きな人たちに来てもらい、もてなすスタイルにできればいいなっていうのがあって。ですのでGLAYという看板は掲げるんですけど、市民の一つのイベントにしていけたらという夢はあります。

市長は市の国際的なブランド向上に取り組んでいます。海外に通じるビエンナーレをやりたい、海外に通じる函館市を作りたいという思いに共鳴するのでは?
大泉市長

さっき「つなげる」「つなぐ」って言葉があったじゃないですか。そこがすごく力になる。つながって初めて変化するし、活気が生まれる。それがいま間違いなく起きていると思うんですよ。
つながるって簡単そうに見えて、すごく難しいんですよね。いいネットワークをちゃんと作ってつながることが変化の始まりですけど、それを(TERUさんは)普通にやってらっしゃるんですよ。さっきのお話しの、直接SNSでやりとりするとかね。志も作品も素晴らしいんですけど、それと同じくらい尊いのは、つなげてくれていることだと思います。

TERU

ヴェネツィアに10年通っていて、来年はライヴもやるんですけども、それもアートとつなげたいと考えています。ヴェネツィアビエンナーレを見て、僕は「これは函館に持って行ける」と確信を持ったんですよ。
風景もそうだし、海と赤レンガ倉庫、そして地元の人々が、そういうものの結集した場所で、観光に来られる皆さんを受け入れる姿も優しい。函館に来てくれたGLAYファンの子たちから「本当に函館の皆さんって優しいですよね」っていう話を聞くんです。その包容力こそが、世界から来てくれる人たちをうまく抱きしめてくれる力になると思うので、それをいかにアートとつなげるかですね。
でっかいクルーズ船が来て、何千人という人達が街に降り立つじゃないですか。でも夜にはまた移動しちゃうから、「1泊ぐらいしてくれよ」って思うんですよ。そこにアートフェスタがあれば、お祭りみたいに楽しみながら宿泊して、ゆっくり街とアートを見て帰るみたいな。そういった流れが生まれたら函館の未来につながるんじゃないかな。函館の子供たちにも、「世界から来てくれる人を喜ばせる何かを生んでいこう」って力になると思っていて、それが自分の中の希望なんです。
次の世代に絶対つなげたいから、若手の画家とかを集めて「僕はこうやったら楽しいんだよ。こうすればほら、お祭りも楽しいでしょ」ってやり方を伝えるんです。すると「じゃあ僕頑張ります!来年はTERUさんと一緒にやります!」っていうようにつながっています。

大泉市長

世界の舞台で活躍しているTERUさんだから、見えてる景色があると思うんですよね。その視点で街の未来を考えてくれるのは、本当にありがたいです。
世界に函館を売り出したい気持ちは、すごく強くあるんですよ。いろんな強みが函館にはあるんですけど、TERUさんがおっしゃるように、アートと相性がいい街のはずなんです。でも、その強みを発信できてこなかった反省というか、僕にはそういう気持ちがあるんですよね。例えば美術館があることだけでも、本当はすごく素敵なことなんです。もっと美術とか芸術に親しんでもいいんじゃないかなと。それが向上すれば、世界中の人を引きつけたり、函館から発信する強みにできると思うんですよね。そんな時にこのビエンナーレの発想とか、アートで盛り上げようって行動してくれているTERUさんの熱意には驚きですし、感謝しています。

TERU

僕らが今、仲間を集めてやってるのは、町おこしの意味ももちろんあります。さらに、「誰かが立ち上がって何かを始めたら、楽しいことがいっぱいできるよ」っていう、函館で1つのモデルケースを作っていくと、僕の場合は日本中にファンがいるし、ライヴで行った先の友達もたくさんいるから、それぞれの街で同じように盛り上げていったら、日本が元気になるんじゃないかってところまで考えているんです。
実は、友達のGRe4N BOYZのHIDEくん(※)が、昨日一昨日とワッショイはこだてで一緒に踊ってたんですよ。彼は次の週、高知のよさこい祭りに出ることになってて、「ぜひとも今度、ワッショイはこだてで来てください」って言うんです。聞いたらよさこいって1節よさこいの節が入っていれば、どんな曲でも踊れるみたいだから、函館から100人ぐらい連れてったら楽しいんじゃないかな。そういったつながりを作るのも面白いですよね。
(※ 中学・高校時代を高知県で過ごす。GRe4N BOYZ は、2025年4月より高知市PR大使を務める)

TERUさんの作品制作は、どこから力が湧いてくるのでしょう。
TERU

ただただ楽しいから描いてるんです。発表すると注目してもらえることもあって、恥ずかしくないように描きたい。日頃から、フットサルとかオンラインゲームをやるときも「GLAYのTERUがやってるけど、下手じゃないか」って言われたくないから、頑張って練習するとか。自分の生き方として、ちゃんとしたレベルまで達したい、何事も頑張ってやりたいっていうのはあります。ワッショイはこだてもそうですけど、遊び半分とは絶対言われたくないし、絵もちゃんとした形に残して評価されたいですから。
今回のイベントではアート作品とピアノ、装花をコラボして、誰もやったことないアートに挑戦しました。人に見られることが多分、自分の根本的なパワーになってるような気がします。

私たち函館市民も、TERUさんの背中を追っかけたい、自分も頑張んなきゃみたいな気持ちになります。
大泉市長

なりますね。私は歌も踊りもだめだから市長になったんですけどね(笑)

TERU

いやいやいや(笑)



一連のイベントでは音楽、文学、食…と、アートを広く捉えようとしていますね。
TERU

全てのジャンルをひっくるめたのがエンターテインメントだと考えながらやっているので、それがGLAYのチームでやってる事業というか。それを函館に落とし込めたら楽しい街になるんじゃないかな。それで、「自分はなんだかんだ言いながら、函館に骨を埋めるんだろうな」っていう感覚が何となくあるんです。だったら自分が60、70歳になった時に楽できる函館にしたい。「函館全部いいじゃん」って思えるようにしたい。
それから僕の友達に、ヴェネチアングラスアーティストの土田康彦さんという方がいて、『アートな夕べ』という音楽と食と朗読、そういう文化をひっくるめたイベントをやっているんです。「それ絶対函館でやりたい」ってお話をして、僕のプロデュースで今度やるんですよ。それを函館に住む人たちに体験してもらって「こういうのいいよね。じゃあ俺たちもやろうぜ」って感じてほしい。誰かがやってくれることを楽しむだけじゃなくて、自分でやることの楽しさも体験してもらって、そこからどんどん函館も、西部地区だけではなく街全体が栄えてくれたらなと。僕が小学生の時、函館は元気な街だったんで、あの姿にまた近づけたいと思っています。

市長のまちづくりのビジョンは?
大泉市長

私が市長になろうと思ったころの感覚は、みんな自信がない感じだったんですよね。今、少しずつ自信を取り戻して、何かに挑戦したい世代が出てきてる。TERUさんがいろんな人を刺激して、つなげて、爆発的な変化を起こしてくれてるじゃないですか。もちろん賑わいとか盛り上がりもそうなんだけど、みんなが自信を取り戻してるのは間違いないと思いますよ。
あれもよかったなぁ。昨夜のパレードでTERUさんが、両サイドの観衆に声をかけて「ワッショイ!」「はこだて!」ってコールアンドレスポンスがあったじゃないですか。

TERU

やりましたね。

大泉市長

あれがすごく象徴的だったと思うんですよ。一体感もそうだけど、あの瞬間みんな何か「やれる」っていう力がね、みなぎってきた時間なんじゃないかなと思いましたよ。

TERU

僕が誰かとつながっていくたび、こんな素晴らしいことをやってる人が何でもっと広がらないんだろうって感じるんです。拾い上げて発信する役目ができればいい。今回のイベントで装花をしてくれた2人も若い世代で、チャレンジしたくてもそういう場がなかったんです。それじゃあと一緒にやり始めたら、僕たちが思うよりもっと素晴らしい力を発揮してくれました。文化もアートも食も、大きな舞台でやり始めた時に頭角を表す人が出てくるんじゃないかな。拾い上げる人が絶対必要。それも市長の役割だと思うところもあります。

大泉市長

さっき「歳をとっても住みやすい、素敵な街で」っていう願いがあったじゃないですか。それで大事なのは10年後、20年後、あるいは40年後を担う世代が今、活躍できる土台を整えることが、市役所、行政の使命だろうと思うんです。結局、街って人が作るから、住んでる人がもっと輝けるのも大事。それから、外から見た函館がいいと言ってくれる人も、見つけ出して導いてくれる人も必要ですよね。人が成長してつながっていける環境作りが、私のミッションだなと思ってます。



TERUさん自身が若いアーティストから刺激をもらうことは?
TERU

楽しいのはそれしかないですよね。それで僕は「もっとこうしたらいいじゃない」って絶対言わないんですよ。一緒に楽しんで作っていく中で「TERUさん、こういうのやっていいですか!」って言われるときが、すごくドキドキするんですよね。「やった方がいいんじゃない!」「じゃあやらせてください!」ってなって。いいよいいよと言うんですけど、僕の財布からはお金がどんどん飛んでいく、みたいな。

(2人、笑)

TERU

函館朝市ひろば2階で始まった木下春菜ちゃんの個展(※現在は終了)も、素晴らしい絵を描いても披露できる場がないみたいだったので。彼女もギャラリーで作品を見たのがきっかけでDMで連絡取って「一緒にやってみない?」と誘ったんです。佑木瞬さんも写真展をやって、広い壁に並べてるので、刺激し合いながら、みんなに見てもらえる空間を作っていけたらと思います。

大泉市長

朝市ひろばをアートで使ってもらえるのは初めてなので、素晴らしいですね。

TERU

そういった函館にある素敵な場所を使ってみる。若い世代にどう有効利用していくか伝えて、きっかけを作ってあげられたらいいですね。

国内外いろいろ見ているTERUさんの目から、函館にある「住んでいて当たり前と思っていたけど違う」ということを知らせることも、ひとつの発信でしょうか。
TERU

アクセスの素晴らしさ。函館空港から市内まで20分。函館は山と海と、そして路面電車。こんなに素晴らしい街はそうそうないですよ。「ただみんな見慣れてるだけだぞ」って思います。これをうまく利用したらどれだけ楽しいことができるか、僕にはワクワクしかないですね。ビエンナーレ構想を作り始めた時、路面電車で函館どつくと西部地区、五稜郭をチケットフリーでアートを見て、いろんなご飯を食べに行ける空間をつくればいいなと思った。今年、スイスのアート・バーゼルに行ったら、まさしくそれをやっていて。

大泉市長

そうなんですか。

TERU

そうなんですよ。ホテルに泊まるとまず無料券がもらえて、僕らもそれを使って電車に乗ってアート展の会場に行ったり食事に行きました。そういった路面電車に揺られる体験も楽しいなと。だからビエンナーレ構想には市電もバスも頭の中に組み込んであって、有効活用できるアートな街にしたいなと思います。

昨年度、函館市の観光客入り込み数が過去最多の600万人を突破して、ちょうどいいタイミングです。
大泉市長

魅力の発信、プロモーションも大事なんだけど、元々の発信する魅力がないとだめでしょう。そういうものを作ろうじゃないか、って思う人が増え始めた矢先にコロナがあって。それが明けて勢いが出始めているころ、TERUさんがアートもそうだし、どんどんライヴをしてくれて加速している。今まさに、そういう時期なんですよね。その一つの証左が過去最高の入り込みになっていると思うんです。その数字がまた、メディアが函館を注目してくれる流れを作っている。こういう時って普段実らない取り組みも実りやすい。強力な仲間の力を借りながら観光を突破口にして、函館のブランドを世界水準に上げていきたいと思っています。

では最後に、函館がもっと魅力的な街になっていくぞとPRする言葉を。
大泉市長

港まつりではTERUさんのパワーから、観客も地域のみんなも力をもらったと思うんですよ。「夢を描いていいんだ、前に進んでいいんだ」という自信を取り戻しつつある。僕にできることは何でもやっていきたいし、みんなで元気にしていきたい。まだまだ函館は強くて優しくて美しくて、元気な街になれると思いますね。

TERU

「楽しいからやってる」っていう本当にシンプルなことこそ、情熱を持ってできるんじゃないかな。東京じゃ経験できないことがここにはあるんですよね。自然も、路面電車に揺られるだけでもそうだし。ぬくもりのある函館が大好きだからもっと元気にしたい。1人1人の気持ちが街を活性化すると思うので、僕が楽しんでいるように、みなさんも函館を楽しんでほしいなと思います。

本日、2回目の対談を終えてご感想はいかがでしょうか?
大泉市長

去年もここで対談させてもらって、あのときも函館にたくさん贈り物をしてくれましたけれど、この夏のプレゼントは最強過ぎます。2回目の対談ができて、本当に嬉しいです。

TERU

前回、大泉市長がすごくいいこと言ってくれて。それを聞くまで僕も全然気付いてなかったんですけど、「函館山はシンボルとして、函館のどこからでも見えるんだよね」っていう言葉が自分の中にすごく残ってて。あれから函館に帰ってくるたび、どこにいても函館山を見るようになったんですよね。そういう一言ってすごい大事で、自分たちの気付かないことを誰かが気付かせてくれるっていうのが、未来につながることなんじゃないかと思います。大泉市長の目線から発する一言っていうのは、市民の皆さんにとっても大事な言葉になるはずですので、これからもたくさん発信していただければと思います。

大泉市長

頑張ります。ありがとうございました。

TERU

ありがとうございました。



取材・文/大槻 和央

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