INTERVIEW
Vol.104 TAKURO インタビュー
大盛況のうちに成功を収めた『HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023 -The Ghost of GLAY-』。感染防止対策ガイドラインの緩和からオーディエンスの歓声やコール&レスポンスが復活したこのツアーを経て、全7曲入の新作E.P『HC 2023 episode 2 -GHOST TRACK E.P-』がリリースされる。そこで今回はツアーの感想、バックステージの模様、そして新作E.Pの全曲解説をTAKUROに訊いたロングインタビューを実施。11月からスタートする待望のツアー『HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023 -The Ghost Hunter-』のヒントや来年の30周年イヤーに向けた発言も含まれた必読のテキストをお届けする。
2023.9.27
- まずは今年3月から6月にかけて行われた「GLAY HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023 -The Ghost of GLAY-」のお話しから。
- TAKURO
まさに来年の活動を約束できるバンドだからこそ形に出来たようなセットリストだったと思います。来年は30周年なので、もうちょっと間口の広いライヴにするでしょうね。でもコロナ禍を挟んだこともあり、29年目の今年はJIROの曲「THE GHOST」をきっかけに、ゴーストトラック的な楽曲を掘り起こしてみた。例えば15周年の頃の技術だったらまだ表現し切れなかったけど、今ならば楽勝で出来ることもある。今のバンドの強度を信じた上で、より楽しさを優先した。そんな意味合いも大きかったですね。
- 「THE GHOST」という発想が象徴的ですが、つくづくピンチをチャンスに変えるGLAYのアイデアとパワーも感じられました。
- TAKURO
そう言ってもらえるのは光栄だけど、やっぱりJIROの成長が一番大きかったと思います。あのときはHISASHIとも「今回のG4グランプリ(※4人における曲出しコンテスト)はJIROが優勝だね」と言い合いましたから。「THE GHOST」は、ある意味これまで自分の想いを優先して曲を書いていたJIROが、コロナ禍、ベーシストとして更に著しい成長を遂げて、初めてベースと向き合った上で作家的な書き方をした曲だったんじゃないかな。R&Bへの関心とGLAYとの接点を彼なりに発見したというか。何より、(制作当時)28年目のベテランバンドがこういう曲をやれるのってめっちゃくちゃカッコいいじゃないですか。
90年代のGLAYにおいてメインのソングライターは僕だったのかもしれないけど、僕は当時からほかの三人もゆくゆくは必ず優秀なソングライターになると予見していましたから。事実、ご存知の通りHISASHIもTERUも成長を遂げましたが、コロナ禍のJIROは特にずば抜けた跳躍力を見せつけた。僕自身、ちょっと見習わなきゃなと思ったぐらい。そして自画自賛になっちゃいますが、今回のレコーディングから全国ツアーという一連の流れで、自分が思っている以上にGLAYというバンドの懐の深さを改めて実感することができましたね。 - ツアー中のGLAYはどんな様子でしたか?
- TAKURO
TERUとJIROは相変わらずしっかり自己管理をしていたけど、もう僕とTOSHIとHISASHIがはしゃいだはしゃいだ(笑)。もちろんコロナに気を付けながらですが、「これだよな、ツアーって!地方大好き!楽しい!!」みたいな感じで、まず俺とHISASHIが呑み疲れて一旦チーンとご臨終に(苦笑)。マネージャーチームもそれぞれ2回ずつぐらい壊れて。ツアー中にみんなで映画を観に行って「つまんねえ!!」とか感想を言い合うといったレクリエーションも久し振りでしたね。
全体を通してとにかく楽しかったし、真面目な話、日々バンドがシンプルに上手くなっていった。やっぱりライヴを重ねると曲の締めるべき部分と緩めるべき部分が手に取るように分かってくるんですよ。同じ曲でも毎日違うノリを試せるし、僕自身も、例えば昨日は人差し指から始めたギター・ソロを今日は薬指から弾いてみること一つからでも新たな発見があった。東京のファイナルまでを走り抜けて、「まずは今年の第1部をやり切ったぞ」という充実感を得られました。 - 本格的な観客声出しが解禁となったツアーにおいて、あのディープなセットリストというのもまたGLAYらしいというか。とても楽しかったです。
- TAKURO
やってるこっちも究極楽しかったですよ(笑)。あまり知られていない曲でも、こちらが一生懸命「楽しい!」「楽しませるぞ!」と思っていれば気持ちは必ず伝わると思う。トレンドの最前線を担うとか、広く知られている曲だけで、ある種、記憶再生装置としてみなさんの思い出を優しくなでるのもそれはそれでいいんだけど、俺が目指すGLAYはそうじゃない。人気曲がどうこうではなく、質のいいエンターテイメントの一端を担いたい。そこも30周年を前に勝負してみたかった今年のテーマでした。
- 「THE GHOST」のほかにも、コロナ禍でライブが止まった頃の経験は何らかの形で活かされていますか?
- TAKURO
もちろんそれもあるけど、そもそも僕はコロナ禍で演者側もお客さん双方でコロナ禍以前のやり方が一旦全てリセットされたと捉えていて。例えばSNSの生配信で演者の人が画面に向き合って夜中に1、2時間話すとか、演者側もお客さん側も不安で互いに交流をしたくて、実際にそれが出来た。でもそれは、演者側の神秘性というか、ある種の魔法が解けた瞬間でもあった。互いに相手のテンションがより分かるようになった今、再スタートしたエンタメは絶対により良質なものでなければと僕は思う。
これまでだって手を抜いた覚えは無いけれど、より入念な準備をしないと、ちょっとでも適当にやったらバレてしまうと思う。だからこそ、30周年を前に、改めて自分たちの曲を総ざらいして、ついでに弱点も潰して、それを踏まえたうえで新作作りにどう活かすかを考えたかった。そういう意味でこの2023年はGLAYにとってめちゃくちゃ有意義な一年になるはずです。個人的に更に言えば、今回のコロナ禍は、この音楽業界におけるGLAYの存在意義を見直すためにきっかけにもなりました。 - しかし今更こう言うのも何ですけど、GLAYって本当に仲が良いですよねえ。
- TAKURO
先日函館に帰ったときも毎日TERUと一緒に遊んでいたし。16歳の頃の夏休みと何ら変わらなくて(笑)。あの頃に目指した理想のバンド像や大人像が僕の全てだったんだなあと改めて思います。僕、GLAYをやっていて「こんなはずじゃなかった」という思いが一つも無いんですよ。
- そう言えるのって、本当に素晴らしいことですね。
- TAKURO
うん。多分一つも無いな。職業になったのはあくまで後付というか結果論でね。例えば、言い辛いことは先に言おうとか、大事なことはメンバーだけで話そうとか、釣りの最中に次の活動プランを決めちゃうとか(笑)。そんな人間関係も含めて、あの頃から全くブレていない。しかも、今のところみんな健康で誰一人欠けることなくいられている。幸せですよ。
メンバー全員がそれぞれにGLAYを大事にしていることとか、もう音楽性云々の話じゃないですからね(笑)。人生を懸けた大きな夢とか目標のために頑張る姿こそが、GLAYが一番ファンに伝えたいメッセージなのかもしれない。ヒーローになるための物語にはピンチも不可欠だしトラブルも大歓迎だけど、ここ10年ぐらいのGLAYにはとにかく事件が無い。だから多分ドキュメンタリーとか作ってもちっとも面白くならない!(笑)。 - それはそれで観てみたいですが(笑)。では、ここからは『HC 2023 episode 2 -GHOST TRACK E.P-』について訊いていきます。M1の「Buddy」はツアーでも披露されましたが、この“相棒”をテーマにした曲はどのようにして生まれたのでしょうか?
- TAKURO
幾つかの要素があったんです。まずひとつには僕がよく行くイタリアンの店があって。そこは厨房とフロアの二人が力を合わせてやっている店で、通っているうちに仲良くなっていろんな話を聞いているうちに“二人三脚”で頑張る姿が印象に残って。
- ちなみに、そのお二人には、この曲のことは?
- TAKURO
言わない(笑)。いつか自然と気づいてくれたらなって。
- なるほど(笑)。ほかの要素については?
- TAKURO
コロナ禍、JIROから「コロナのニュースばっかりで気が滅入るから、最近は芸人さんのラジオをよく聴いている」と聞いて、僕もナイツ、ニューヨーク、オズワルド、空気階段と結構聴いて。楽しくて、とても救われたんです。そのうちに、例えばM-1グランプリへの夢と狂気が象徴的だけど、芸人さんたちの生き様には、今の音楽業界に決定的に欠けているものが感じられた。つまり優勝したら明日から売れっ子、みたいなスターシステムであり競争精神でありハングリー精神ですね。
- まあたしかに一昔前のような◯✕ドリームって、聞かなくなりましたね。
- TAKURO
もちろんSNSにもピコ太郎さんみたいなケースはあるし、TikTokやYouTubeでバズるというのも夢はあると思うんですが、こと音楽業界全般ではとにかく減りましたよね。僕自身も、どこかで緩んでいた気持ちだったし。だから芸人さんたちが笑いのために凌ぎを削り火花を散らす生き様にものすごく惹かれて。彼らの単行本や自伝なんかも拝読して、たくさんのヒントをもらって。その二つが混ざり合って書いた歌詞です。友達とも仲間とも夫婦とも二人以上の集合体の一メンバーとも違う、独特のバディ感って、僕の周りだとB’zのお二人ぐらいしか思い付かないんですが、そういう関係性への憧れやドラマを詰め込んでみました。
- いまお名前が出てきた芸人さんとは交流が?
- TAKURO
オズワルドのお二人とニューヨークのお二人は、先日、ツアーに来てくださいました。感謝の気持ちがあり過ぎて、ご招待しちゃいました(笑)。当日はバタバタしていたのであまり感謝の気持ちは伝えられなかったんですが。
- 「Buddy」の“相棒”というテーマはGLAYとファンの絆という関係性にも置き換えられます。
- TAKURO
たくさんのアーティストのなかから俺たちに何かを感じてくれて、一緒に併走してくれてありがとうという思いですね。この29年間、「救われました」とか「勇気出ました」とかよく言われましたけど、「いやいや逆だよ」と。みなさんがいなければ今のGLAYはなかった。それこそ「赤ちゃんがいるからライブに来られませんでした」からの「今回は旦那のお母さんに預けてきました」みたいなファンレターを通してでも、もちろん想像の部分もあるけど、誰かの人生が垣間見える。そして、時折、ステージから「あの手紙のかたはどの人かな?」と探すんですよ。「ああ、あの人かもしれないな」って。
コロナ禍は多くの方が亡くなられた。なかにはGLAYのファンもいらしたかもしれないし、僕らの周囲でも亡くなった人がいた。そんな経験を経て、今、ライブを通して一緒に過ごせている2時間は……バンドを続けてきたことのご褒美なんじゃないかなって。互いに励まし合って、これからもこの大変な時代を一緒に生きていきたい。その思いは「Buddy」を書くのに十分過ぎるぐらいの動機になりました。 - M2は「Pianista」。作詞作曲はHISASHIさんです。HISASHIさんは、GLAYの要所要所で興味深い曲を繰り出されますね。
- TAKURO
HISASHIは相変わらず人を食ったような男で。高校時代から一緒だけど、どこまでが本音でどこからがそうじゃないのか俺にも未だに分からん!(笑)。でも、この歌詞はシンプルに素晴らしいと思った。HISASHIの死生観、今という時代に彼が思うこと、それらが率直に書かれていますよね。ひねったような言葉遊びから漏れ出る彼の本音みたいなものも見え隠れするこの歌詞が僕はすごく好きです。
- 「スマホの数だけ咲いたストーリー」というフレーズなんて、何だか職業作詞家みたいな手練れ感がありますよね。
- TAKURO
これは僕には書けない。時代性の描き方という点でも上手い。HISASHIは時代に咲く花を摘み取るような歌詞が上手いんですよ。
- そして「27シンドローム」「シアトルの夜にグランジが鳴る」という歌詞は、奇しくも27歳で亡くなったミュージシャンたちと、そのなかの一人だったカート・コバーン(ニルヴァーナ)を想起させます。
- TAKURO
カートやジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンといった若くして散ったデカダンなロックヒーローには憧れました。一方、僕らは健康にワチャワチャとやれている。その恥ずかしさはあるけど、それでも今は「死んじゃダメだよ」と声を大にして言いたい。「もしも話」はナンセンスだけど、やっぱりジョン・レノンだってhideさんだって生きていてくれたほうが僕は嬉しかったし。きっとHISASHIにも彼なりのデカダンでいたい部分と、「いや。そうじゃなくて」という両方の思いがあるんじゃないかと俺は踏んでいますが。「HISASHI、お前、いいヤツだな」って思います(笑)。
- 「THE GHOST」然り、このE.Pの収録曲は全て、大事なもの、失ったもの、通り過ぎた時間や思い、郷愁を遠くから見つめているような要素を孕んでいますね。ある意味、そうしたものの全てが“ゴースト”とも言えるし。
- TAKURO
そこは特に意識していなかったけど、確かにそうですね。いま言われてはっとしたけど、曲の制作順で考えると、もしかしたら僕がメンバーの曲に影響を受けていたのかもしれないな。
- M3の「U・TA・KA・TA」はどのように生まれたのでしょうか?
- TAKURO
自粛期間中、ライヴ活動は出来なくてもとにかく制作活動は止めたくないと思って、僕もいい機会だからコンピュータの曲作りを覚えたんですが、そのときに僕がアコギで仮歌を入れたトラックデータが原型でした。そこにギター、ベースを入れて、後からドラムやヴォーカルを入れた。これ、GLAYのなかでは異例なんですよ。僕らは大抵まずはリズムから録るので。ヴォーカルも確かTERUが仮歌として歌ったテイクをそのまま使っています。前回と今回のE.PはGLAYがコロナ禍をどう過ごしたかというドキュメンタリー的な曲たちを全て出しきって、来年はほとんどまっさらな新曲で行こうと。
これは分かる人には分かると思うんですけど、要はサイモン&ガーファンクルの「アメリカ」(1968年)をやりたかったんです。ハモンド・オルガンやミックスはマイク・ブルームフィールドとアル・クーパーの『フィルモアの奇蹟』(1968年)。あのアルバムの1曲目もサイモン&ガーファンクルの「59番街の橋」のカバーでしょ。エンジニアさんにも「こういうミックスにしてほしい」とお願いしました。昔の「HELLO MY LIFE」という曲もそうだったけど、キックだけが左にあるとか変なところからギターのフレーズがくるようなアプローチが僕は大好きで(笑)。今回はいい機会だから思いきりやってみました。 - M3の「刻は波のように」はTERUさんの曲です。
- TAKURO
TERUの函館ソングですね。こういう曲を聴くと同じバンドでありながらも、失ったものに対する捉え方が個々に違って興味深いですね。TERUはGLAYの太陽とも言えるフロントマンの立ち位置でありながらも、失くしたものをロマンティックに探す視線が感じられる。反対に僕は「失くしたものは追いかけるな」というタイプだし(笑)。僕らは付き合いの長い友達でもある分、かえってそれぞれの人生観を語り合うような機会もあまりないんだけれど、こういう曲を通して各々の本音を理解することも多いですね。函館という街がTERUに書かせたのかもしれませんが。
- 「母の指がやせ細っていた「もう歳だよね」と笑って隠した」というフレーズもありますが。
- TAKURO
何がリアルかって、僕らTERUの母ちゃんのことすげえ知ってるから(笑)。一昨日も一緒に飯食ってたし。
- ああ、ちょっと生々しいという?(笑)。
- TAKURO
演奏している時に顔が浮かんじゃうわ(笑)。自分の親より会ってますからね。函館のレコーディング中なんてそれこそ寮母さんみたいな感じで、しょっちゅう朝飯食わしてもらってますから。今回のツアーで、久々にいろんな地方でいろんな美味しいものを頂いて、どれも美味しかったんですけど、やっぱり函館公演のときのTERUの母ちゃんの朝飯がマジで一番美味かったんですよ!(笑)。
- それ最高ですね。そしてM4の「SEVEN DAYS FANTASY」はTAKUROさんの曲です。これはライブで聴けたらテンションが上がる曲ですね。
- TAKURO
これは実験的な習作みたいな感じ。アルバムの制作が『NO DEMOCRACY』、『FREEDOM ONLY』と来て、実は来年予定の次回作はもう何も考えないポップな曲ばっかりのアルバムを作ろうかなと考えていて。ジ・アーリー90’sなJ-POPをね。
- それはまた何故ですか?
- TAKURO
ロスに住んでから、改めて日本の音楽を外から眺める機会が増えたんですが、いまJ-POPはアジアの他の国々の音楽に押されているけど、そもそもJ-POPってやっぱりめちゃめちゃ独特な音楽だったなあと思って。最近のトレンドは、例えばループするコードのなかでメロディが変わっていくとか、メロディであまり大きな振り幅を作らずに歌とパフォーマンスで見せていくというのが潮流だと思いますが、そもそもこんなに転調したりメロディが飛んだり跳ねたりするポップスってかなり特異だなあと。この先、20年か30年かかるかもしれないけど、これまでとは違う再評価をされて後世に残るんじゃないか?という、ある種の予感めいたものがあって。
そもそもJ-POPの出自って端から海外を目指していなくて。国内に向けまくった結果こうなって、それが独自の進化を遂げて、今では海外でウケる曲も出てきた。相撲や歌舞伎や寿司みたいな感じで外に飛び出していくのをようやく僕たちはいま目の当たりにしている。YOASOBIの「アイドル」のように、J-POPを煮詰めた結果として生まれた高質な音楽が国内でも海外に認められるというケースは理想的なJ-POPのあり方だと思う。僕らはリアルタイムでJ-POPの真っ只中を駆け抜けてきたわけだし、90年代以降、歌謡曲とも演歌とも違う不思議な進化を辿ったJ-POPの古典を、ちょっとGLAYで引き受けたくなった。もっとピンポイントで言うと、僕らのルーツであるJ-POPという名前が付く以前の日本のロックのDNAを引き受けたくなったというか。 - それはかなり楽しみです。この曲のギターのオーケストレーションを主体にしたこの曲の包容力もまた、90年代J-POPであり初期のGLAYの専売特許も思い出されます。
- TAKURO
そして各々のプレイもエフェクトも記名性が強い。曲の質のみを追求するならもっと薄味のほうが体に良いんだけど、昔みたいに化学調味料かけちゃうぜ、みたいな(笑)。バンドが29年続いてきた強みとして、90年代の作品を2023年にやれるし、昔の曲も新曲も90年代の音楽の新解釈を打ち出せる。
僕、B’zの稲葉さんにも直接言ったことがあるけど、やっぱり「太陽のKomachi Angel」(1990年)なんてなかなか思い付かないし、もっと以前だと「セクシャルバイオレットNo.1」(桑名正博。1979年。作詞;松本隆)とか、英語に置き換えられない語呂の良さで全てをぶん殴れる強さがあるじゃないですか。 - 本当に強烈ですよね(笑)。
- TAKURO
そういう暴力的なフレーズの魅力にも惹かれますね。だから次回は、ここ3作で追求したような難しい曲はやめようと思っていて。僕個人としては、観念的ではなく、より視覚的というか直球的な曲を書いて、それがそのままGLAY流のJ-POPに繋がっていけばと。
- 来年がなおさら楽しみになりました。M6は「THE GHOST」の80KIDZ Remixですが、このremixで改めて原曲の魅力が再確認することが出来るというか。
- TAKURO
もちろん今回のE.P自体が次のツアーの予習になりますから、この曲は絶対に入ってなきゃいけない。JIROからのアイデアで80KIDZの二人にお願いしました。次のツアーのなかでは、この曲がちょっとしたハイライト的な場所に置かれると思います。
- そして今作のラストを飾るM7の「Ghost of GLAY愛のテーマ」はTAKUROさんの曲です。キーボードはJUN☆MURAYAMAさんですが、このインストゥルメンタルはTAKUROさんのソロ作『The Sound Of Life』を連想します。TAKUROさんのピアノとの向き合い方という意味でも興味深い曲です。
- TAKURO
この曲のきっかけは坂本龍一さんへの追悼ですね。中学の頃から多大な影響を受けていたし、2000年前後は付き合いも深かったので。ここ何年も会っていなかったんですが、もちろん新作が出るたびに聴いていました。やはり亡くなったときはショックでした。でも音楽を聴けばまだそこにいるような気もするし……『The Sound Of Life』もそうですが、自分が作るピアノ曲の背景には、いつも坂本さんが心にいるような気がします。
僕のなかではインスト音楽の母がマーク・ゴールデンバーグで父が坂本さん。特に『戦場のメリークリスマス』(1983年)と『音楽図鑑』(1984年)は、僕のなかでの坂本さんの最高峰です。ツアーのオープニングSE用に作ったんですが、坂本さんの音楽を自分の体のなかに入れた証として、坂本さんにおける「メリー・クリスマス ミスターローレンス」のような作品を世に残しておきたかった。だからジャッジャッジャッジャという間奏は少し坂本チックになっています。 - ありがとうございました。さて来年はいよいよ30周年のアニバーサリーイヤーで、2026年にはヴェネツィアでのライブ開催も宣言されていますが。
- TAKURO
粛々と準備しています。2016年にTERUがいきなりステージで宣言したときは「この人、何を言ってんの?」と思ったけど(笑)。本当にTERUは面白いことを言うし、活動を予定調和にさせない(笑)。だってあんなに機材も運び辛くて車も満足に入れないような場所ですよ? もうこうなったらロックバンドの可視化不可能なダイナミズムというかアホっぽさを体現してやろうじゃないかという覚悟ですよ(笑)。
だって2016年の宣言からすぐに、「ヴェネツィア、今日から貯金始めました!」と82歳のかたからファンレターを頂いたんですよ? そりゃ嬉しくて「お互い絶対元気に頑張ろうぜ!」という気持ちにだってなりますよ。HISASHIはHISASHIでフェスをやりたいと言っていますし、それぞれどんな規模になるのかもまだ分かりませんが、どうせなら失敗したらマネジメントごと吹っ飛ぶぐらいの面白いバカをやって、成功しても失敗してもみんなで盛大に笑えるような30周年にしてやろうと思っています。
文・内田正樹