閉じる

HAPPY SWING
GLAY MOBILE
G-Direct

Vol.94 ハジメタル インタビュー

サポートキーボーディストとして2019年からGLAYと共にステージに立つようになったハジメタル。2020年1月に『GLAY ARENA TOUR 2019-2020 DEMOCRACY 25TH HOTEL GLAY THE SUITE ROOM』を完走した直後、ご承知の通りコロナ禍で世界は一変。ドームツアー中止を乗り越えて開催された2020年12月19日・20日の『GLAY DEMOCRACY 25TH “HOTEL GLAY in SAITAMA SUPER ARENA』でもハジメタルは大活躍している。6月2日(水)に映像作品としてリリースされる同公演の細部を観返すと、ハジメタルの多才さ、プレイヤーとしてだけでなくそのキャラクターの振り幅の大きさに気付くことだろう。中学時代にバンドでGLAYをコピーしたという、メンバーより10歳も年下の若き鍵盤奏者が今、GLAYにおいてどのような役割を果たしたいと考えているのか? サポート参加するようになった経緯から今後の展望までを尋ねた本インタビューは、GLAY論としても興味深い内容となった。

2021.05.11

まず、ハジメタルさんのプロフィールを改めてお聞かせください。以前はミドリのメンバーとして活躍されていましたよね?

ハジメタル
ミドリというのは2003年に大阪で結成されたバンドなんですが、僕が加入したのは2004年の10月頃で、大学3年生、21歳の時でした。他のバンドを観に行った時に対バンでミドリが出ていたのがきっかけで、その後何回か観に行っていたらホームページでメンバー募集があったので、「やりたい」と申し込んで。だから、最初はお客さんだったんです。高校生の頃にもうバンドは組んでいたんですけど、ちゃんとライブハウスに出るようなバンドに入ったのはミドリが初めてでした。

パンキッシュでユニークなバンドでしたよね。

ハジメタル
そうですね(笑)。僕が入る前はもっと過激で変な感じだったんです。僕が鍵盤奏者として入った後2007年春に上京して、その年の秋にメジャーデビューしました。いくつかの作品をつくって、ライブをたくさんして、フェスとかにもたくさん出たんですけど、2010年の年末に解散しました。その後は、知り合いのシンガーソングライターの子のサポートをしたり、SCANDALへの楽曲提供もしたり。バンド時代の繋がりを元にいろいろな活動をし始めたという感じですね。その中でソロ、mezcolanzaなどの活動をしてきています。

GLAYのサポートをされるようになった経緯を教えてください。HISASHIさんから急に誘われて『ニコニコ超会議』(2019年4月)に出演した、と当時報じられていた記憶があるのですが…。

ハジメタル
僕が聞いた話だと、HISASHIさんは、ミドリが活動している時から知っていらっしゃって、CDも買ってくださっていた、ということでした。一番「近付いたな」と思ったのは2015年ぐらいのことで、僕はTHE 夏の魔物というグループのサポートをしていたんですが、HISASHIさんがミドリのヴォーカル・後藤(まりこ)さんが作詞したシングル曲(「恋愛至上主義サマーエブリデイ」)でギターを弾いていらっしゃって。僕はそのカップリング曲(「どきめきライブ・ラリ」)に参加していたんですよ。「えっ? そんな繋がりがあるんだ」とその時感じたのを覚えています。HISASHIさんが、THE 夏の魔物に 1、2曲ゲスト参加したライブがあって、僕はキーボードとしてサポートしていたので、そこで初めてお会いしたという感じですね。

その時は、いつかGLAYにも参加してほしい、というお話までされたのですか?

ハジメタル
全くしてないです。「遠くにいるビッグ・ロックバンドGLAYのギターのHISASHIさんがいる」と思うだけでその時は終わりました(笑)。ところが、マネージャーさん経由で、そういうお話が2018年の冬に来たんです。連絡先の問い合わせがまずはあって、年が明けて2019年の2月末ぐらいに「スケジュール空いてますか?」という具体的なお話になって。3月にZepp DiverCity であったACE OF SPADESのライブを観に行かせていただいて、そこで改めてHISASHIさんにご挨拶をしました。そこから4月の『ニコニコ超会議』に出ることが決まり、バタバタと本番に向かう、という感じでした。

『ニコニコ超会議』では、GLAY愛とリスペクト、そして笑いに溢れたゴールデンボンバーのライブの後、GLAYは「女々しくて」のカバーを一曲目に放つという最高の対バンでした。あの特別なステージでサポートデビューを果たしたハジメタルさんは、どんなお気持ちだったのでしょうか?

ハジメタル
普通のイベントではないじゃないですか? GLAYの主催でもないし対バン相手がゴールデンボンバーで、お祭りみたいな感じの雰囲気で。だから、「普通のお披露目とは違うな」という感じでしたね。ステージ上でもご紹介していただいたんですけど、その日は他にもトピックが多かったので…(笑)。なにせ、GLAYの皆さんと初めて演奏した曲が僕は「女々しくて」なんです(笑)。リハーサルの時に最初に合わせたのも「女々しくて」(笑)。そのインパクトが大きかったですよね、あの日は。

かなりイレギュラーな形での船出でしたよね(笑)。その後2019年に始まる全国ツアーに帯同されることになります。

ハジメタル
『ニコニコ超会議』の後しばらく空いて、テレビ出演とかがいくつかあって、本格的にGLAYファンの皆さんの前で演奏するお披露目がそのツアーだったので、かなり緊張はしていましたね。

実際にステージに立って、ファンの皆さんの反応をどう感じましたか?

ハジメタル
そこまで感じる余裕がなかったですね。歴代のサポートキーボードの方々はまず、メンバーの皆さんよりも年上で、ミュージシャンとしても先輩の人が弾いている、要はTOSHI NAGAIさんのような立ち位置の方々だったと思うんですよね。でも僕はそうじゃなくて、10歳ぐらい下ですし。レコーディングで特に参加したわけでもないキーボードの人がいる、というのでファンの方からは「誰だろう?」ときっと思われているんだろうな、とは感じていました(笑)。そういうこともあって、メンバーの皆さんが積極的にMCや楽曲の間で、「新しい人が入ったよ」というのを分かりやすくフィーチャーしてくださっていたな、と思います。

やはりプレッシャーもありましたか?

ハジメタル
いやぁ、プレッシャーでしたね。ステージ上でトラブッたりミスしたりすると頭が真っ白になりましたし、演奏技術においてもそうなんですけど、あの″阿吽の呼吸の中に(自分が)いる″というのが、「どうやったら自然に見える時が来るんだろう?」と思いながらやっていました。特に、絶対にミスしちゃいけないような「HOWEVER」や「Winter,again」のイントロとか。アルバムツアーで披露される曲とはまた別の、そういうポイントごとの楽曲は「あぁ、これはすごいな」と思いながら弾いていました。お客さんの反応もすごくて、イヤモニを付けていてもグアーッと伝わってきますし、「本当にすごい経験をしてるな」と思いました。

アレンジに関して、ハジメタルさんご自身の色を出そう、歴代のサポートキーボードの人たちとは違うことをしよう、という意識はあったのでしょうか?

ハジメタル
そうですね。例えば…「絶対に」とは言われてはいないんですけど、イントロとかの印象的なフレーズは完コピというか、原曲に則った感じで弾いて、「あとは自分の感じでやっていいよ」みたいな。そういう、パレットというかキャンバスは広げさせていただけたのが非常にありがたかったですね。ライブなどの映像資料もいただいて、歴代の人たちはどんな感じで弾いてるのか?というのは、セトリでかぶっている曲があれば一応調べたりもしていました。それを参考にすることもあれば、しなかったこともありますけれども。

2020年12月のさいたまスーパーアリーナ2DAYSは、ハジメタルさんの個性が際立つ場面がいくつもありました。具体的には後ほど伺いますが、まず、ドームツアーの中止を経て開催された、という経緯について。当時どんな心境でしたか?

ハジメタル
横浜アリーナ(2020年1月)の後にドームツアーがある、という流れは知っていて、そこにも参加する予定だったんですが、1月末にライブが終わった後、(コロナ禍で)そうじゃない空気にどんどん(世の中が)なっていったじゃないですか? それで、『ミュージックステーション』に出演した4月3日にTAKUROさんからドームツアー中止の発表があって。2020年は本当ならたくさんのライブに僕も参加する予定だったんですけど、全部無しということになって、ショックではありましたね。メンバーの皆さんとは比べものにならないと思いますが、残念でしたし、「経験したかったな」とも思っていました。

札幌ドームから場所を移して、さいたまスーパーアリーナでの開催に漕ぎつけることになります。約11か月ぶりのGLAYの有観客ライブ。どんなお気持ちでしたか?

ハジメタル
(2020年)10月ぐらいに「(ライブを)やるかも」という話になって。ドームから会場が変わりましたし、「どんな感じになるのかな?」と思いながら本番に向けたリハーサルに入ったんですけど、スタジオで皆さんと音を合わせながら「あぁ、やっぱりやりたいなぁ」という気持ちが強くなっていきました。メンバーの皆さん、スタッフさんも含めて、その前からずっと準備されていたのも端々に見えてきていて…とはいえ、「当日どうなるか分からない」というのもあって、楽しみでもあり不安でもあり。あらゆる可能性も含めて、同時進行で進んでいた感じです。当日会場に入って検温するまで、もう本当にどうなるか分からないという気持ちで、(会場での)リハーサルも終えて、いよいよ本番が始まって。1日目の1曲目を演奏した時の喜びはすごかったですね。独特の雰囲気がありました。

お客様が大きな声を出すことができない、という制約下でのライブはプレイされる側としてはいかがでしたか?

ハジメタル
その前のツアーではやっぱり、オープニング映像の時点でお客さんの笑い声などの反応が聞こえていたんですけど、そういうのが一切無くて。手拍子とか拍手とかがメインだったのは結構大きな違いだったし、たぶん映像作品としても大きな違いがあると思います。声を出せないことに比例して、手拍子も何となく「してもいいのかな?」というムードからたぶん、あの日もスタートしたと思うんですけど、結果的に盛り上がりましたよね。やっぱり入りが素晴らしいなって思いました。皆が「どうなるんだろう?」という気持ちでいる中で「ROCK ACADEMIA」というすごく明るい曲で入って、HISASHIさんがハンドマイクで歌う演出などもあり、″GLAY側が扉を開いてる″という感じがすごく伝わるというか。それがあって「ALL STANDARD IS YOU」に入っていくあの流れは、お客さんに対して優しいなと思いましたね。

素晴らしかったですよね。ハジメタルさんのプレイについて詳しく伺っていきます。ライブ前半にしっとりした楽曲群があり、ピアノ、シンセサイザーを駆使して表現されていました。「流星のHowl」前のピアノソロはどんなイメージでつくられたのですか?

ハジメタル
基本的には「(曲と曲の間を)繋いでほしい」という指定がスタジオリハーサルの時にあって、次のリハーサルまでに考えておく、という感じなんですね。あまりにも違う感じだったら「変更してほしい」と言われると思うんですけど、だいたいは任されます。それで最終的にあの形になりましたね。

約1分間で、宇宙的な壮大な感じからメロディアスなピアノへ移っていくドラマティックな流れでした。最初からあのイメージだったのですか?

ハジメタル
ピアノだけだと他の曲とかぶりそうだなと思って、何か違う楽器も使おう、というのは前提としてありました。次の曲「流星のHowl」にはEDM的な要素もあり、シンセサイザーの音の広がりも元々入っているので、ピアノだけではなくシンセサイザーも使おうと思ったんです。前のツアーの時に、「キーを合わせたほうがいいですか?」とTERUさんに訊いた時、「いや、同じじゃなくてもいいよ」と言われたので、次の曲に入った時に転調を生じさせることで、「そこも音楽的に聴こえるようにしよう」と思ったんですね。だから「どのキーが合うかな?」と考えてキー設定をしたり、音色的にも宇宙的なイメージがあったので、その感じを出しながら歌詞とマッチするようにピアノで孤独感を出そう、と考えたり。そうやって煮詰めていってああいう感じになりました。

非常に聴き応えがありました!

ハジメタル
いえいえ、本当に緊張しました(笑)。繋ぎを任されることが多いので、「試されてるなぁ」と思っています。

直前が「天使のわけまえ」ですから、そこから空気を換える重大なミッションですよね。1分間というのはそう考えると短いですか? 長いですか?

ハジメタル
どうなんでしょうね? リハーサルの時は、終わった後に聴き返して「なんか急ぎ過ぎてるな」と思ったら修正します。たっぷりとした感じがしつつ余韻を持って終わる、みたいな。制限時間内で″余裕を持った演奏″に聴こえるように、というのは心掛けていますね。

なるほど。そして「春を愛する人」の前にもピアノソロがありました。

ハジメタル
あれは当初、後ろに30秒ぐらいの映像が流れるかもしれないということだったので、その長さに合わせてつくりました。映像は結局流れないことになったんですけどね。春をテーマにした自分のオリジナル曲を30秒にアレンジにしつつ、次の曲に繋がるように転調させたりして披露したものです。

「May Fair」から「春を愛する人」、あの辺りは聴かせるゾーンでしたよね。

ハジメタル
そうですね。生放送ではないとはいえWOWOWでの当日配信もあったので、「大丈夫かな?」という気持ちもありました(笑)。歴史がある90年代の曲ですし、ファンの皆さんからすれば「ここでハジメタルが来るのか?」みたいな(笑)。でもやっぱり、久しぶりのライブだったとはいえ、前にツアーを経ていたというのは大きかったかもしれないです。今できる中のことをして、上手くいって良かったな、とは思っていますね。

「VIVA VIVA VIVA」では、TERUさんが「メタル~!」と呼び掛けてハジメタルさんがシャウトで返す、パンキッシュなやり取りも。あのくだりは事前にTERUさんと打ち合わせていたんですか?

ハジメタル
いや、僕の記憶ではたしか、2日目の(会場での)リハーサルが終わった後に「振るかも。できる?」みたいな感じで言われて。要は映像収録が入ることもあってだと思うんですけども…大きな声を出しました(笑)。ああいうのはミドリの時はよくやっていて、TERUさんはそれを知ってか知らずか…たぶん、いつものパフォーマンスとは違ってお客さんにマイクを向けたコール&レスポンスはできないから「どうしようかな?」となって、しかもあの曲で他のメンバーの皆さんがセンターステージへ行くということだったので、「あ、じゃあハジメタルに振ればいっか」という感じで思い付かれたのかもしれないです(笑)。あの日ならでは、だったのかもしれないですね。配信のコメント欄を後々見たら、「TERUさん叫んでるけど、何を言ってるんだろう? 気になる」と話題になっていて。「ハジメタルくんのことを″メタル~!″と言ってたんじゃないの?」みたいな(笑)。TERUさんらしい天才的な発想でしたよね。

こうして振り返ると、エレガントなピアノから破壊的なシャウトまで、ハジメタルさんの人間性の幅広さが網羅されていたライブでもありましたよね。

ハジメタル
メンバーの皆さんのお陰だと思います、本当に。前のツアーからもそうですけど、今回も含めて、「サポートメンバーとして、こんなにフィーチャーされるなんて」と驚いています。ある程度「できるだろう」ということで任されていると思うので、それに応えられていたらいいなと思いますし、「じゃあ、どんなことができるのかな?」って、ちょっと実験的な感じでもやってみたいと思っています。

さいたまスーパーアリーナ公演の模様は6月2日(水)に映像作品としてリリースされ、ファンの皆さんのお手元に届きます。改めてあのライブを今振りかえってみて、どう感じていらっしゃいますか?

ハジメタル
まずは無事に終わったということと、GLAYの皆さんがこういう状況の中でもライブができると証明したのは、バンドにとっても、このエンターテインメント業界にとってもすごく大きなことだと思います。自分のバンドでも今度ライブをするんですけど、そういう大きな動きは励みになりますし、逆に言うと大きなものが止まると「やっぱりできないのかな?」という気持ちにもなるので、その影響力というのはすごいことだと思います。常日頃、映像作品というのはそうだと思うんですけど、実際に会場に来られなかった皆さんにとっても、今回のパッケージングは大きいんじゃないかな?って。お客さんの表情が時々映るんですけど、「いろいろな想いで来られているんだな」というのがほんの数秒、本当に1秒でも分かるし、伝わってくるんですよね。「やっぱり、ファンの皆さんも待っていたんだな」って。そういうアナログ的な温かみと、最新の技術を駆使した映像演出と、その両方がある作品で。″コロナ禍の中でライブをした″というだけに留まらない、攻めの姿勢みたいなものが今回の映像には入っていると思います。それはいきなり大きな本番でできたことではなくて、TERUさん企画立案による『LIVE at HOME』シリーズで事前に配信ライブを何回か開催して得たものでもあって。さいたまスーパーアリーナに向けていろいろな試行錯誤を重ねてきた結果、というのも入っているし、本当にすごいなと思います。

質問の角度を変えて、GLAY app内でハジメタルさんが選んだプレイリスト「本当はヤバいGLAY」について伺います。どんなふうに選んでいかれたのですか?

ハジメタル
事前に、他の皆さんの選曲を見せていただいたら、GLAYの名曲、もしくは個人的に想い出がある曲という感じでプレイリストを組まれていたので、「じゃあ僕はGLAYの中のある一点にフォーカスしたものにしたらどうかな?」と思って。

GLAYの凶暴な面に着目した選曲ですよね(笑)。

ハジメタル
はい、そうです(笑)。『関ジャム (完全燃SHOW)』で、鬼龍院(翔/ゴールデンボンバー)さんが言われていた″親に紹介できるヴィジュアル系″をちょっとアレンジして、″実は親に紹介できないバンドだった″というコンセプトで(笑)。″良いGLAY″″悪いGLAY″というライブもありましたし、それと併せて、「GLAYのちょっと変わった、こういう部分があってもいいかな?」と、僕らしい感じで選びました。

ハジメタルさんのGLAY観は、遠くからビッグなバンドとして見ていた時と実際に関わるようになってからとでは、どう変化しましたか?

ハジメタル
実は、中学生の時の僕の初めてのライブでは、オリジナル曲の他にGLAYの曲を演奏しているんです。当時『REVIEW』が大ヒットしていて、世代的には音楽を聴くようになったきっかけであり、まずそういう目でGLAYを見ていたので、サポートのお話をいただいた時には本当にびっくりしたんですよ。自分も音楽をやるようになってからは一旦そういうルーツ的なところから離れて、洋楽など他にもいろいろと聴くようになっていったんですね。そして、時を経てこうしてサポートメンバーのお話をいただいて。まだ音楽の耳が全然育っていない未熟な頃に聴いていた音楽を、今度は細かく分析しながら、実際演奏するつもりで聴くようになって。そういう二つの聴き方ができる、比較して聴ける音楽はあまりないし、そういう機会って実は限られていると思うんですよね。GLAYの曲はたくさんやっていたわけじゃなくて、友だちが「歌いたい」と言うので弾いたのが「ずっと2人で…」だったんですけど。すごく遠い存在でもあり、近くの存在でもあったGLAYという皆さんに実際にお会いして感じたのは…「仲がいいバンドらしいよ」という話を聞いたことはあったんですけど、ここまでとは(笑)。25年、30年とバンドをやっているとなかなかそうはいかないと思うんですよね。でも、GLAYの皆さんはすごく自然にディスカッションしながら物事を進めていて。大変なこともあったと思うんですけど、そこに行き着いた存在の大きさ・遠さと、身近さとが僕の中では常に共存してる、というか。不動の4人であり、永井さんも含めてですけど、そんな皆さんの近くに自分がいるというのは不思議な感じなんですよね。ツアー中とかにいろいろなエピソードを聞いたり、実際に目にすることがあって、″答え合わせ″ができることもあるし。「なるほどな」と、演奏以外のことでも気付かされることがすごく多いです。

″答え合わせ″というのは、具体的にどういうことですか?

ハジメタル
バンドがバンドらしく前に進んでいくには、やっぱり、ダイレクトにお互いがやり合うことが大切で、そのシンプルなことに尽きるんだな、ということですね。プロジェクトが大きくなると間にいろんな人が入ってきがちですけど、少なくとも僕が観た中では、GLAYの場合はすごくそれがシンプルに進んでいるし、必要最小限のチームの中で、皆さんが大きなことに向かってやっている、というか。きっとメンバーの皆さんが音楽以外のことも含めていろいろなことに興味があるからだと思います。

今後GLAYというバンドにおいて、どのような役割を担っていきたいですか?

ハジメタル
歴代いろんな方がサポートで弾いてきているので、そこになるべく忠実に行くこともあれば″僕が思うアプローチ″も間に入れていったりして、楽曲は大切にしつつ、新しい試みも求められていると思うので、その両方をやっていきたいですね。ギターロックバンドなので、HISASHIさん、TAKUROさんが歌の合間にいろいろなフレーズを既に弾いているので、上物楽器としてその邪魔にならないようにしたいな、とは思っています。変にピアノで新たにフレーズを足し過ぎると聴きづらくなってしまうので。例えば「月に祈る」のAメロでは原曲に無いピアノのフレーズを入れていて、今回の映像作品ではそこを映してもらっていましたし、そういったギターのフレーズが弾かれていない箇所で、楽曲に合う新たなアレンジは入れていこうかな?と思っています。あとは、ピアノやオルガンだけに頼り過ぎず、シンセも好きなので、そういう要素も入れていきたいですね。例えば「Into the Wild」などはそういう曲だと思うので、僕自身ライブで演奏していてもすごく楽しいんです。キーボードのサポートが入ったということで、バラードの中での王道の演奏も当然求められていると思いますので、そこはしっかりと弾きつつ。今回も、隠し味的な要素で″よくよく聴くと″みたいな変わった音をさり気なく入れています。インタールードはしっかり任されるので、そこは遠慮せずにガンッ!と行かなきゃと思いますけど、ずっと同じ場所にいるというよりかは、楽曲によって(存在として)前に行ったり後ろに行ったり、いろいろとやっていけたらな、と思っています。

お話を伺っていると、すごく難易度の高いことをなさっていますよね。

ハジメタル
鍵盤の人って、ジャズとクラシックどちらかが得意とか、〇〇が個性で、というスタイルでやってらっしゃる方が多いと思うんですけど、僕は良くも悪くもどちらでもないというか。めちゃめちゃピアノが上手いというわけでもないので(笑)、その曖昧な位置ならではのところでしっかりとサポートできればな、と。そういうところで一番参考になるのは、ステージ上にいらっしゃった佐久間(正英)さんの立ち位置なんです。

歴代サポートキーボードの方ではなく、佐久間さんがモデルだ、と。それは非常に興味深いです。

ハジメタル
いろいろな映像を観て、歴代の素晴らしい先輩キーボーディストの方々の演奏も当然参考にしたんですけど、『GLAY EXPO』とかでさり気なくステージにいる佐久間さんの姿は、参考になりましたね。レコーディングの楽曲データもいただいたんですけど、「あ、こんな感じで入れてるんだ」と気付かされて。テクニック的なこともそうだし、聴こえるか聴こえないかぐらいで入ってる、という入れ方なんです。昔は僕も派手にピアノソロを弾く人に憧れたりもして、実際そういうのやってきたんですけど、GLAYにおいては一歩引いた目線でちゃんと全体を見られる位置が重要なんだろうなって。一番年下でありながら、求められるのはそういうことなのかな?と思うんです。必要以上に入れ過ぎない。でも、いないと足りないな、という引き算みたいな感じというか。それを一番感じたのが、佐久間さんの立ち位置だったんです。時にギターも弾いたりもするし、いろいろな楽器ができるということが羨ましいですね。例えば、一番思ったのは「Winter,again」で、以前は全く気付かなかったんですけど、Aメロの後ろでオルガンが鳴っているんですよね、薄く。ペダルで音量がフワッと上がって行って、本当にさり気なく入ってるんです。言われなければ分からないぐらいなんですけど、無いとあの感じが出ないんです。普通やりがちなのは、そこを普通に埋めたりフレーズを入れて存在感を出したりすることなんですけど、GLAYでは基本的にTAKUROさんとHISASHIさんが上物を充分に鳴らしていて、そこで更に「あったらいいな」という音がフワッと入っていて、気付くと急にいなくなって…みたいなのがいい。けど、イントロではメインのフレーズを弾いてる、というか。プロデューサーが亀田(誠治)さんに変わってからも、やっぱりGLAYにおけるキーボードの位置、鍵盤の基礎はそこにある、と僕は感じています。その中で、歴代のキーボードの方々は味付けをしていると思うんですけども。そういう伝統と、僕ができる新しいアプローチ、両方を大事にしていきたいですね。

GLAYの音楽論としてもすごく面白いお話でした。

ハジメタル
ただのキーボードとして入ると、(GLAYの場合)情報過多になっちゃうんじゃないのかな?とは思っていますね。

そこで、あえて弾かない、空気だけを足すという方法論が必要になるわけですね。

ハジメタル
そうだと思います。メンバーではなくサポートだからこそ、ポジショニングとしても常にそれはあるし、まずは基本なんじゃないのかな?と思っていますね。だからこそ、出てほしい時は「よろしく!」という感じで任されて出ていく時もあるし、でも、常に前にいるというのは絶対に違うと思うし。だから、自分で考えてそうしている、というよりは、既にそうなっている、というのもあると思いますけどね。歴代の皆さんがどう考えてきたかは分からないですけど、僕はそう思いました。

最後に、5月29日(土)に配信されるJIROさんプロデュースライブ『THE ENTERTAINMENT STRIKES BACK LIFETIME MUSIC』への意気込みをお聞かせください。

ハジメタル
JIROさん楽曲なのでロックでシンプルな感じの曲と、あとはメロディックな曲、両方あるのでそれに対してアプローチできればな、と思っています。

JIROさんとはもうやり取りを始められているのですか(※4月下旬現在)?

ハジメタル
いや、まだですね。

では、これから始まるという感じですね。

ハジメタル
そうですね。いきなりいろんなことが始まるかもしれないです(笑)。まだ分からないことがいっぱいありますが、ストリングスが入るライブは初めてなので、一体どんな感じになるのか、楽しみにしています!

文・大前多恵

Vol.93 翁長 裕インタビュー

リリースが間近に迫ってきた『ONE LOVE Anthology』。これまで当インタビューコーナーでは、DISC1において『ONE LOVE』のリミックス&リマスタリングを行なったレコーディング・エンジニアの競 紀行氏へのインタビュー、デモ音源を収録したDISC2の全曲解説を掲載してきたが、今回は『ONE LOVE』が発表された2000年の前後に収録された映像を収録されたDISC3、その編集を担った映像作家・翁長 裕氏のインタビューをお届けする。氏は日本の音楽業界に映像作品という概念がほとんどなかった頃から積極的にその制作を進めてきた、日本ミュージックシーンにおけるPV、MVのパイオニアである。GLAYとは「Freeze My Love」のPV撮影から始まって、数々のPV、MV、ライブ作品を手掛けてきた。そんな翁長氏が今回、膨大な映像資料をいかに再構築したのか。氏の創作信条と併せて制作背景を訊いた。

2021.04.19

『ONE LOVE Anthology』の話の前に、翁長監督の経歴をお伺いしたいと思います。Wikipediaを見ましたところ、「1981年、アンダーグラウンドロックシーンのフォトドキュメンタリーが、写真月刊誌『写楽』にて特集」とありました。監督はロックのライブを撮影するところから映像作家としてのキャリアをスタートされたんですね?

翁長 裕
そうなんです。そもそも僕はスチールカメラマンなんですよ。最初はもちろん何の伝手もないし、大きな仕事をもらえるはずもなく、「それじゃあ何を撮ろうか?」と思い悩んでいる内に、アングラロックから始めまして。話は前後するんですけど、自分自身、バンドをやっている時期がありまして。ペンキ屋のバイトをしながら、そこの仲間たちが皆、音楽好きで「一緒にやろうぜ」って、1年間くらいですけど、バンドをやっている時期がありましてね。そもそも、高校時代から自分は音楽をやってまして、ドラムをやっていたので、そのバンドにはドラマーとして参加してたんですけれども、大して才能もなく、そこまで情熱もなかったんですよ。その内、写真のアシスタントをやるようになって、カメラマンになろうと思っていたんですけども、「何を撮ればいいんだろうか?」ということで、さっきの話に戻るんですね。JAGATARAとか、そういうアバンギャルドロックの全盛期というか、大分盛り上がっている時期だったんです。ご存知ですか?

もちろんです!

翁長 裕
それが自分の中ですごい衝撃だったんですね。音楽というのはエンターテインメントであって、ステージと客席とはある距離感を持っていて、予定調和というか、皆さん楽しむために集まって、そこで盛り上がる。そういうコミュニケーションの場だと思っていたわけですよ。ところが、そのアングラロックの現場に行ってみたら(笑)──。

私はそれを間近に見たわけではないですが、ステージから物が飛んでくるようなライブもあったそうですね。

翁長 裕
そうそう(笑)。JAGATARAが僕の最初の撮影だったんですけど、(ボーカルの江戸アケミが)いきなり全裸になって客におしっこをかけて。あと、自分で額を切って血だらけになりながら客席に飛び降りて女の子を追いかけまわしたりとか、身の安全を自ら守らなければいけないような(笑)……何ていうんですかね? とにかく僕からすると、常識をすべて覆されたというか。ただ、そこには言葉では片付けられない高揚感があって、自分では気が付かなかったもうひとりの自分が出てきて。そこで魂を浄化させる…みたいなところがあって、「あ、音楽の可能性というのはそこまであるんだな」と、所謂刷り込みになっちゃったわけですよ。

JAGATARAのライブを間近でカメラに収めたことがものすごく大きな体験だったんですね。

翁長 裕
そうですね。僕の音楽映像屋としての根っこにはそれがあるわけです。「皆さん、集まって楽しくやりましょう!」ということよりも、もっと原始的な……脳髄に繋がっているようなところがあったわけですよ。

額から血、客席に小便というJAGATARAのライブは伝説です。

翁長 裕
ええ。で、(JAGATARAから始まって)長期間にわたって撮った(様々なアーティストのライブ)写真を、当時、“写楽”という雑誌がありまして──。

写真誌ですよね? 懐かしい名前です。

翁長 裕
そこで特集してもらったんですね。それがきっかけで所謂メジャーの音楽のお仕事をいただけるようになりまして。そこから紆余曲折あった中で、RCサクセションというバンドのオフィシャルカメラマンをやらせてもらったんですよ。

それもWikipediaで見たんですけど、RCサクセションのカメラマンというとCHABO(=仲井戸麗市)さんの奥様がやっていたイメージがありますが?

翁長 裕
そうですね。おおくぼひさこさんがずっと彼らの写真を撮っていたんですが、僕は今お話したようにアングラから来たので、収まった写真じゃなくて──これは綺麗事に聞こえるかもしれないんですけども、音の聴こえるような写真を目指していたんですね。そうではないと、JAGATARAとかのムーブメントを表現できなかったんです。ただ、ストロボを焚いて、「すげぇ怖いだろ?」 「ギャー!」みたいなものだとゲテモノになってしまうんですよ。それでは僕が感じた、あの何かというのは表せなかったんで、「どうすれば近付けるんだろう?」という中で、自分なりのいろんなテクニカルなもの──スローシャッターで撮ったり、そこに少しストロボを当てたり、何かしらの工夫をしながら撮っていたんですが、それがメジャーのRCサクセションの写真を撮らせてもらった時に効果的だったんだろうなと思うんです。ということで、おおくぼさんが撮られるライブの写真と僕の撮ってきたヤツとは、ミュージシャン側からすると、その違いが顕著だったんだろうと思うんですね。僕からすると、それまでストリップ小屋とか暗いライブハウスとかで一生懸命に撮っていたのが、いきなりRCサクセションを撮ると、照明がバンバン当たってるし、お客さんは盛り上がっているし、それはもう別世界というかね(笑)。ある意味、撮りやすかったですし、たくさんいるカメラマンの方々とは違う視点で撮ろうという意識もあったので、そういう意味でも違っていたんだと思いますね。

なるほど。で、RCサクセション以外にも様々なアーティストを写真に収められたと思いますが、その後、時代が動画にシフトしていくと共に、翁長監督もビデオ制作に関わり始める──そんな流れだったでしょうか?

翁長 裕
そうですね。RCサクセションとの仕事の中で転機があったんですけれども、マネージャーが新しもの好きで、家庭用のビデオカメラをいち早く取り入れて。家庭用は言っても、今からするとホントに重たくて、デッキとカメラが別々でケーブルで繋がっていて両方担いで…みたいなものなんですけど、それを買って記録用に撮ってたんですよ。それがメンバーには不評で(笑)。素人が撮ったわけですから、当然、落ち着きもなかったでしょうし、いろいろな不具合もあったんでしょう。で、「翁長ちゃん、撮ってみる?」なんて言われて僕が撮ったんです。それまで僕がライブを撮る時というのは、いつシャッターを切ってもいいように、当時はすべてマニュアルですから、絶えずピントを合わせ、露出を合わせ、フレーミングしながら狙っていたんですけれども、それがビデオと似ていたという。写真であれば「1枚も切れなかったな」というような時間軸でも、ビデオで撮ると音も入るし動きの流れの中で別の表現が加わってくるわけですから、非常に自分にはフィットしていたというか、そこで「ビデオっておもしれぇな」と思ったのが転機ですよね。

1980年代半ば、アメリカではMTVが全盛で、日本でも映像なくして音楽は成り立たないとなってきた時期だったでしょうか。

翁長 裕
そうですね。その頃は音楽雑誌での仕事がメインになってきて、先ほど仰ってくださったように、いろんなバンドだったりアーティストの方だったりのライブとかインタビューとかの写真を撮っていく中で、いつも顔を合わせていたEPIC SONYの担当者で自分と同い齢くらいのヤツと仲良くなりまして。彼がある時、「自分たちでビデオを撮ってフィルムコンサートを企画しているんだけど、一緒にやらない?」と誘ってくれたんですね。それが“BEEプロジェクト”と言いまして、ご存知でしょうか?

はい。そこに翁長監督が関わったと聞いております。

翁長 裕
佐野元春さんとか、渡辺美里さん、あとはTM NETWORKとかね。で、そういう人たちのビデオを自分たちで撮るんですけど、今からすれば、素人も素人ですから(笑)──。

逆に言えば、まさに日本のPV、MVの黎明期だったということなんでしょうね。

翁長 裕
はい。ちょうどMTVが入って来て、Michael Jackson『Thriller』とかの頃ですよね。日本でも(MVを)作ろうという気運が高まっていたんですけれども、当時はほとんどCMの関係者や映画の方々がチームを作ってやっていたんです。ただ、それはレコード会社の人に言わせると「どうも違う」と。「音楽が伝わってこない……だったら、同じお金をかけて撮るなら自分たちで感じるままに撮ってみようか」というところから始まったんですね。

当時はまだ手探り状態で撮っていたんですか?

翁長 裕
手探りでしたよ(笑)。機材屋に行ってカメラとデッキを借りて、予算がなくてVE(=ビデオエンジニア)さんもいないから、(機材屋に)繋ぐところだけ聞いて。まぁ、絞りとか多少のことは分かっていたんですけど、込み入ったこと──例えば、ホワイトバランスをどうするとか、ゲインをどうするとか、「あ、これだ!」とかガチャガチャやりながらやってましたね(笑)。

そうでしたか。そのEPIC SONYの“BEEプロジェクト”が1984年だったと伺っておりますが、その翌年には、翁長監督ご自身の初演出として矢沢永吉『TAKE IT TIME』のPVを手掛けたそうですね。

翁長 裕
そうそう。

この辺は流石に矢沢永吉と言いますか、矢沢さんはPVの制作も早かったんですね。これはどんな経緯だったんですか?

翁長 裕
矢沢さんはですね、“BEEプロジェクト”の中の大沢誉志幸さんのPVを矢沢さんのマネージャーさんが見て、「このカメラマンは誰だ?」と調べて電話をくれたんです。で、「翁長さん、ディレクションはしたことがありますか?」と開口一番訊かれたんですよ。僕、ちょうど寝起きで、よく分からないまま、「ああ、大丈夫っスよ」なんて言って(笑)、そこから始まったんです。ただ、ディレクションと言っても、今見たら恥ずかしい演出ですけども、仲間たちがいろいろと助けてくれましたし、乏しいながらも自分が培ってきたスキルを全部導入してやったので、まぁ、矢沢さんも喜んでくれました。

それで、演出も行う映像監督の仕事が増え、1986年に株式会社イフを設立して独立されたんですね。

翁長 裕
はい。そういうことになります。

それではここからGLAYとの出会いについて伺っていきます。翁長監督はGLAYとはほぼデビュー当時からのお付き合いで、最初の仕事は1995年1月にリリースされたシングル「Freeze My Love」のPV撮影だったそうですが、これにはどんな印象が残っていますか?

翁長 裕
当時の彼らのプロデューサー、大元締めが井ノ口(弘彦)さん。僕がちょうどRCサクセションを担当して、りぼんという事務所に出入りしている時に、いつも表でキャッチボールしている若い衆がいて、それが井ノ口さんと広瀬(利仁)さん(=当時のGLAYのステージプロデューサー)の2人で(笑)。齢も近いんで我々は馬鹿話していつも盛り上がっていたんです。で、時が経ち、同じ業界にいることは当然知ってましたけれども、何かの折に電話をかけて来てくれて、「今度、新人をやるんでちょっと手伝ってくれよ」ってところからで、それが「Freeze My Love」のPVです。その時はもう僕から見ても海千山千のバンドではあったんですけれども、実際に会って話をしてみるとすごくいい奴らで、売れるか売れないかは置いておいても、すごく親近感が沸いたので一生懸命にやりましたね。それからいろいろなことが合わさって、どんどん大きくなっていって。

1995年ですと、もちろん一定の人気はありましたが、そこまでビッグではなかった。そのあとですよね。あれよあれよという間にビッグなバンドになっていったのは。

翁長 裕
そうですね。僕からすると、おかげ様でいろんな新人のアーティストの方々と仕事をさせていただいたんですけれども、毎回すごい責任を感じていて、ヘボなものを作ると彼らの行く末に悪い影響を及ぼしてしまう可能性もあるじゃないですか? 駄作を作ってしまうと次がないわけですから。そこではいつも重たいものを背負ってやってきたんですけど、GLAYの時はとにかくTAKUROがものすごく真摯というか、大人だなと思いましたね。見てくれはビジュアル系でしたけども、話をしてみるとすごくしっかりとしていて。当時はドラムがまだ永井さんではなかったですけど、もちろん他のメンバーも皆さん、すごく一生懸命で、応援したい気持ちにはなりましたよね。

音楽制作以外で何か覚えていらっしゃるエピソードなどはありますか?

翁長 裕
「Freeze My Love」の時はそこまで深い会話もないままだったんですけど、その次の作品……「Yes,Summerdays」かな? その時は「予算がないから…」という話だったので、「予算がないなら時間をくれよ」というので、ひとり1日もらったのかな? それで、そこから長い間、僕と一緒にやってくれたヒロ伊藤さんというカメラマンと、メンバーひとりと僕の3人であっち行ったりこっち行ったりして撮ったんですよ。その時にはごく個人的な話をして、勝手に僕らが先輩感を持ってしまって、後輩を可愛がるみたいな会話でしたね。とは言っても、決して上から目線ではなかったですよ(笑)。

(笑)今「予算はないが時間はあった」と仰いましたが、その後、GLAYはどんどん忙しくなって、予算はあるが時間はない状況になっていったと思います。その辺りで翁長監督が何か感じたこと、思ったことはありましたか?

翁長 裕
今お話したようにちょっと先輩風を吹かせていたのも束の間、あっという間に追い抜かれてしまって(苦笑)。かと言って、これは僕のポリシーなんですけれども、どんなに売れているアーティストの方でも、ポッと出の新人でも、物を作る時に上下関係ってないと思ってるんですよ。上から目線でも下から目線でもあまりいいものはできないと思っていて、その人たちがすごく情熱を込めて作った楽曲に対しては、こちらも自分の持っているすべての引き出しの中からあらゆる可能性を持って語って、そこから生み出すというのが一番正しいと思っているのですね。その中で遠慮とか忖度みたいなものが介在しちゃうとちょっと歪んでしまうと思うんですよ。だから、「こういう風にしたいんだけど、どう?」というキャッチボールの中で生まれてくるものというのが一番の理想なんですね。で、だんだんとそれができなくなることが一番恐れるところではあるわけですけれども、幸い、僕とGLAYの間ではそれは最小限に抑えられてきたような気はしてます。

それは理解できます。翁長監督とGLAYとの関係がそうでなかったとしたら、今回『ONE LOVE Anthology』で収められている映像は残ってなかったでしょうから。

翁長 裕
うん、そうなんですよね。僕も改めて数十年ぶりに見返してみて、「ヒロさんがここまで撮ってくれてたんだ」というか、ヒロさんにいろんな表情を撮られているメンバーを見た時に、この無防備な感じはすごく貴重だなと思って、丁寧に繋いだつもりではありますけれども。

はい。『ONE LOVE Anthology』の話の前にもうひとつだけ訊かせてください。『GLAY EXPO ‘99 LIVE IN MAKUHARI』のことです。あのライブはまさにGLAYが日本の音楽シーンのトップに昇り詰めた瞬間だったわけですが、VIDEO制作に携わった監督として、あの時に感じたことをここで改めて言葉にしていただくとすると、どんな風になるでしょうか?

翁長 裕
とにかく、メンバーもそうでしょうけれども、僕の立場においても、1作品を作り終えたあとに絶えず次の作品、次の作品…という風に大波が押し寄せて来るような時期だったんですけれども、そこでルーティンワークしちゃうと、先ほどもお話したように、足を引っ張ることになってしまって僕の存在価値がないわけですから、とにかく毎回「何か新しいことができないか?」というアプローチの連続だったんですね。ただ、20万人を集める人たちとなると海外を含めて他にいないわけで、僕も学習の余地がないというか……。あの時に一個だけやりたかったのが、俯瞰を縦横無尽に動くカメラがあるじゃないですか? 今は普通になっていますけれども、あれは当時アメリカで事故を起こして日本では禁止になっていたんですよ。一時、使っていたんですけど、日本は消防法がうるさいんで、ちょっとでも危ないものはダメなんです。で、それが使えないということだったんですけど、その画は絶対に入れたかった。予算的にも非常に無理がある話だったんですけど、それを最優先でキープして、とんでもない条件を付けられたんですけれども、それはあとで何とかしようという話にして(苦笑)。それが印象に残ってますね。その他にも当時の日本で一番スケール感のある映像を撮れる機材をすべてかき集めて、特機の見本市みたいな現場でしたね(笑)。

裏側はライブ映像の展示会みたいな状態だったんですね。

翁長 裕
そうですね。ただ、それはそれとして、見る人の気持ちということから考えると、日本全国、北から南から集まって来る若い子たちは僕らの何百倍もワクワクして来るわけで、「その気持ちをどう伝えればいいのか?」「どう記録に残せばいいのか?」というところも同時に考えまして。そのために北海道から沖縄までスタッフを派遣して、上京して会場に集まって来る観客の目線からも画を撮ったんですね。僕が幸せだったのは、あれは発売まで1年空いたんですよ。それは井ノ口さんの英断だったんですけれども、中途半端にリリースするよりも、1年後の記念日にバッチリ出そうということで、その1年間は僕、チマチマと編集していましたね。あと、収録の日に僕は中継車に居たんです。いろんな仕込みの集大成でもあるわけですから、(中継車に居ること自体が)ちょっと感慨深かったんですけども、フッと我に返って、自分でも現場の雰囲気を体感したくなったんですね。それで中継車から降りてしばらく会場を歩いていたら……いやぁ、あれは何て言うんだろうね? あれは伝え難いですよね。あの空気というか、あれだけたくさんの子供たちの感動がひとつのうねりになっているわけじゃないですか? それに応えるメンバーもいろんなことがピークに達している。そういうものを目の当たりにして、歩きながらちょっと泣いちゃいましたね……フフフ(笑)。

そうでしたか。翁長監督のキャリアは日本のアングラロックを写真に収めることからスタートしたと伺いましたが、アングラではないロックにしても、1980年代前半においてはまだそれほどメジャーな音楽ではなかったと思います。そんな時代から文字通りシーンを見続けてきた翁長監督ですから、日本のロックバンドが20万人も観客を集めた事実を目の当たりにした時には、それはもう感慨深いどころの騒ぎではなかったでしょうね。

翁長 裕
そうですよね。JAGATARAで感じた、あの魂の浄化、上がっていく感じが、桁違いであそこの会場にあったわけじゃないですか? 天に通じるような感じが。それはGLAYのライブにはいつも感じていたことなんですけども、メジャーであろうがアングラであろうが、そういう現象が「音楽は素晴らしい!」と思うところで。安っぽい言い方ですみませんが(苦笑)。

いえいえ。自分も幕張メッセに行く度にあの駐車場を見ては、ここにギッシリと人が集まっていたんだなと思っていますが、翁長監督の想いは我々より何倍も大きいということになりますでしょうか。さて、お待たせしました。ここからは『ONE LOVE Anthology』について伺っていきます。翁長監督の関わり方としては、DISC3で過去の映像の確認とその再編集をされた そうですね。

私も拝見させていただきまして、まず思ったことは、先ほども少しお話に出ましたが、2000年前後のミーティング風景やリハーサルの模様がよく映像として残っていたなと。当時メンバーやスタッフから「とにかく映像を残しておいてほしい」という指示があったんですかね?

翁長 裕
私も詳細は定かに覚えてないんですけど、当時はイベントが目白押しだったわけですから、それに伴う映像で残しておくべきものはすべて撮っていたと思いますね。ただ、それをすべて作品化するプロセスを経たかというとそうではなくて、僕も見た記憶があるんですけれども、編集した記憶は残っていないので、何かしら商品化するようなことはなかったと思います。

よくここを撮らせたなと思うようなショットもあって、メンバーと撮影スタッフの間のコミュニケーションがツーカーというか、かなりしっかりとした信頼関係が構築されていたこともよく分かりますね。

翁長 裕
そうですね。ヒロさんというカメラマンのキャラクターもありますし、メンバーの方からしても(カメラマンが側に)居て当たり前というか、「ここは撮らないで」ということはあんまりなかったですよね。ですから、そこにあった信頼関係というのは、今さらながらありがたいなと思ったところですね。

そこまで築き上げてきた信頼関係があればこそ…というわけですね。今回、過去の映像から再編集するにあたって、翁長監督が心掛けたことは何だったでしょうか?

翁長 裕
まぁ、今までお話したことと一緒ですけど、エッセンスですよね。ここまで開けっ広げに撮らせてくれている中で、捨てちゃいけないエッセンスというのがあるわけで。全部撮りましたと。でも、その中でどれを使うのかというところが信頼関係の元じゃないですか? それがあったからこそ、ずっと撮らせてくれていた中で、時が経ったにせよ、「あ、こんないい話をしていたよね」とか「あ、ここまで一生懸命にやってたんだな」とか、(そこには)ひたむきさというか、真面目さがあって、一個もルーティンワークがないわけですよ。「ここはちょっと流してもいいんじゃね?」みたいなところがない。あったとしたら、そこにハサミを入れなくちゃいけなかったんですけど、それがないわけですから。逆に言えば、短くするのは非常に頭を使うところがありましたね。

そうでしたか。DISC3は「Member Meeting for GLAY EXPO 2001 “GLOBAL COMMUNICATION” Document」から始まりますが、大きなコンサートが作られていく過程が決して長いとは言えない映像にキチンと収められているのがとても良かったですし、メンバーのアイディア、発案がダイレクトに反映されていることも分かりますね。

翁長 裕
そうですね。そういう意味では、舞台チームも僕と何ら変わらず、家族的な関係でやっていて、予算がありき…という話ではなく、まずメンバーがやりたいことを実現するためにどういう方法論があるかという話の進め方だったというように僕は見ていましたね。

TAKUROさんが「こんな風にしたいんだ」と手書きでロゴを見せるというシーンがありましたが、あそこは印象的で、「メンバーはこんなこともやっていたのか」というちょっとした驚きがありましたよ。

翁長 裕
おそらく彼らは、最初に自分たちでバンドを組んで、ライブ告知のチラシを作って、デモテープを作って…とやっていた頃と何ら変わってないと思いますね。しかも、「そこから先はお願いね」という丸投げでもなくて、些細なことまで全部、自分たちで愛情を通わせる作業という。僕から見ていても、「そこまでやってんだ……そこはプロに任せておけばいいじゃん」って改めて思うようなことがありましたね(笑)。

2001年の『GLAY EXPO』では九州会場でアジア各国からバンドを招きましたが、TAKUROさんがアジアからバンドを招聘する旨を発表した時のミーティングの模様が残っていたのも驚きでした。 ねぇ(笑)?

こう言っちゃなんですが、ああいうことはスタッフの誰かが決めてメンバーの承諾を得るケースが多いとは思うんですが、こうして映像に残っている以上、リアルにメンバーの発案だったことが分かりますね。

翁長 裕
しかも、広瀬さんたちもその瞬間ちょっとギョッとしてて(笑)。

そうそう。「え、何言ってんの!?」という表情が垣間見えますよね(笑)。あと、打ち合わせ等の映像にライブに訪れた観客の姿やステージの模様を差し込んでいますね。ドキュメンタリー映像だけだと単調になってしまうようなところがあると思うんですけれども、そうではなく、当時のコンサートの雰囲気も蘇ってくるような演出もとても良かったです。

翁長 裕
そこはね、現代に通じるんですけど、マネージャーの方々が愛情を持っていろいろと考えてくれてて、「こういうのを差し込んだらどうですか?」っていうアドバイスをくれたんですよ。実際のEXPOの映像を使ってみたら…と。「なるほどね」と思ってね。僕はそこまで思いが至らなかったところがあったんです。

ということは、DISC3は“チームGLAY”で制作したとも言えますか?

翁長 裕
そうですね。脈々と培われてきた愛あるマネージメントの成果じゃないですかね。

ミーティングの映像と実際のコンサートの模様が重なり合うことで、ドキュメンタリーがふくよかになっていますよね。 ありがとうございます。今、振り返ってみた時の達観したすごさというか、熱さというか、たくさんの人たちの情愛が読み取れて、時間が経つと成熟してきて見えて来る何かってありますよね。

そして、その次に「Pre-production for GLOBAL COMMUNICATION Document」が収録されていますが、個人的にはこれがDISC 3のベストテイクだと思います。何が素晴らしいかと言うと──以前TAKUROさんが『Anthology』シリーズを制作する理由として、「アルバム1作品を作るにはこれだけの制作背景があったことをファンに知ってほしかった」という主旨の発言をされていたんですね。この「Pre-production~」はまさにそれに合致していると思います。まず、これもまたよくこれだけの映像が残っていたものだと素直に思ったところです。

翁長 裕
3時間くらいありましたかね。TAKUROくんがギターを弾きながらいろいろと思い悩んでるところを、そのままずっとヒロさんが撮ってたわけで(笑)。普通だったら邪魔ですよね。うるさいですよね。集中できなくて、「ちょっとひとりにしてくれる?」って言ってもおかしくない。というか、普通はそう言いますよね(笑)。でも、あのお喋りなヒロさんが一言も口を挟まずにジーっと撮ってるっていう様は、僕は改めてすごいと思いましたね。今回のドキュメントではほとんどヒロさんはじっくり黙って記録してくれているんですよね。普段はうるさいんですよ(笑)。喋りながら撮るんで、ハサミを入れるのが大変なんですけど(笑)、今回は大人の撮り方をしてくれてましたね。

『ONE LOVE Anthology』を購入した人は、是非DISC2で「GLOBAL COMMUNICATION Demo」を聴いてから、DISC3の「Pre-production for GLOBAL COMMUNICATION Document」を見てほしいと思います。デモ版がどのようにしてリリース版になっていったかを時系列を追いながら映像で見せる──これはホント素晴らしいドキュメンタリーですね。

翁長 裕
そう言われてみると、なかなかないものですよね。最初の段階なんて「曲になるのかな、これって?」みたいなところがあるじゃないですか?

特に歌詞が「これ、大丈夫かな」って感じですよね(笑)。 ははは(笑)。

メロディーにしても当初は雑なところがあるんですけど、そういうところもカメラの前でオープンにしちゃってるんですよね?

翁長 裕
その潔さがいいですよね。昔、『GLAY pure soul 'MOVIE 〜ここではないどこかへ〜』で「ここではないどこかへ」が成長していく様も表現したんですけど、それが「GLOBAL COMMUNICATION」にも凝縮した感じで。僕も「すごいんだなぁ」と思いました。

何しろ、オープニングでTAKUROさんは「アレンジが浮かばない」と言っている上、その後、作者がコードを覚えていないことも映っています(笑)。

翁長 裕
(笑)音楽を楽しんでいることが分かりますし、今、音楽をやっている人が見たらすごい力をもらえるんじゃないですかね。

あと、翁長さんのようなベテラン監督にそこを指摘するのは逆に失礼なのかもしれませんが、「Pre-production for GLOBAL COMMUNICATION Document」の何がいいって、最後に完成音源が流れるところがとても良くて。あの流れはホント素敵だと思いました。

翁長 裕
ありがとうございます。その間にもうちょっとあってしかるべきなんですけど、あまり冗長になっても…というところで、最後はすっきりと終わらせた形ではあります。

楽曲が完成していく過程を追ったドキュメンタリーですから、ラストで本チャンが流れると、それまでの伏線が回収されたような感じがするんですね。「ここのメロディーはこんな風に変わったのか」とか「ここにコーラスを入れたのか」とか。

翁長 裕
歌詞は変わり過ぎですよね(笑)?

そうですね(笑)。そこもまた楽しいところではあります。あと、「ひとひらの自由」を使ったリハーサル風景が見れる「GLAY EXPO 2001 Rehearsal Digest」も印象的だったんですけど、これもまた当時のメンバーのオフの表情を見ることができますね。

翁長 裕
それは「ひとひらの自由 Multi Angle」と併せてお話しましょうか。「ひとひらの自由」は、あの楽曲を基にメンバーが登場しない風景みたいなものを想像して、BGVとしてのPVを作ったんですね。スタジオに大きなテントを作って、テントの向こう側からプロジェクターで投射する方式をとったんです。で、PVの撮り方としては王道ではあるんですけれども、まずメンバーひとりひとりを撮っていって、それを撮り終えた段階でバンドを集合体として何回か撮って、それを組み合わせるという手法なんですね。その素材が残っていて、今言ったひとりずつを撮っていったものなんですけど、これが僕にとっては感慨深くて。何故かというと、バンドというのはひとりずつのミュージシャンの集合体なわけじゃないですか? 個々のアーティストの感性はプレイに表れるわけですけれども、それだけで曲を完結させることはできないわけですよね。他のメンバー分もあるし、バンドとしての映像を見せるという意味では、細分化されてしまって、時間軸の中でひとりのメンバーの感情の動く様みたいなものを捉えることができないわけです。でも、今回はそれができたんですよ。イメージした世界観の中で、ひとりの若者がどういう心持ちで表現していくかというところを感じられる、いいチャンスだったというか。改めて(メンバー個々の映像を)見て感動したりしたんですけど、それを混ぜるのではなく、マルチ画面として同時に見れるというのはおもしろい試みだったと思うんですね。昔、「SOUL LOVE」でそれに近いことをやっていますけれども、「ひとひらの自由」みたいなメッセージ性が高い楽曲で、深みがある歌詞の中で表現するというのは一味違っていて、すごくおもしろかったです。で、それがありつつ、その「ひとひらの自由」のリハーサル風景も、全部リップシンクではなくて、例えば、思い悩んでいたり、何か考えながらプレイに挑んでいたり、それぞれのアーティストの想いみたいなものが垣間見えるというか、想像できるというか、そういうおもしろさもあったんで、僕の中では対になってるんです。

なるほど。確かにリハーサル風景のプレイしていないシーンでも、ひとりのアーティスト、ひとりのミュージシャンがそこに居る…といった感じがしますよね。

翁長 裕
そうなんです。PVの衣装なんかもそうなんですよ。普段はスタイリストがきっちりいろんな衣装を揃えてくれるわけですけれども、あの時はメンバーの発案で私服で行こうということになったんですね。そういうことからしても、素の若者たちの葛藤というか。TAKUROの書いた歌詞の世界にどこまで想いが至っていたのかは人それぞれだったとは思うんですけれども、ただ、ひとりひとりが一生懸命にアプローチしていたというか、歌詞の世界の中に自分を追い込もうとしていたというプロセスが垣間見えたのかなと思って、僕は繋ぎましたけどね。

分かりました。これは全体的な話になりますけど、今回DISC3の映像を見て感じたのは、翁長監督は人物のナチュラルな表情を捉えるのがお上手な方だなということです。今回ではEXPOに集まった人たちの高揚感あふれる表情がとても印象的でしたし、先ほど監督から「SOUL LOVE」の話が出ましたけど、あのPVではJIROさんとTERUさんとの絡みで見せる2人の表情が今も印象に残っています。翁長監督の信条としてナチュラルな姿を収めたいといったところがあるんですか?

翁長 裕
究極を言わせてもらうとそれがすべてなんですよ。ちょっと「SOUL LOVE」の話をさせてもらっていいですか? 「SOUL LOVE」は、GLAYがガーッと急上昇していく中、ずっと1等賞続きの中での、ものすごい1等賞だったわけですよ。僕の立場からすると、何か記念碑的なものにしたいという意味合いもあったんですね。今そういう話をしていただいてすごくうれしいんですけれども、僕が一番好きで、おそらくファンも好きであろうと思っていたのが、素の表情の輝きというもので。彼らの場合はそこに友情もあるし、個々のアーティストとしての高揚感もあるし、とにかく見ていて気持ちいいんですよ。嘘偽りがない、いい笑顔というかね。だから、それを撮りたくて、「SOUL LOVE」の時は、メンバーを現場に立ち入らせなかったんですよ。(撮影するまで)立ち入り禁止にしていたんです(笑)。僕らは前日からセッティングに入っていろんな舞台を用意して──あそこは大谷石地下採掘場の跡で広い空間なんですけど、そこにいろんな大道具、小道具を持ち込んで、大人の遊び場を作ったんです。そこに当日メンバーが入ってきて(セットを)見たがったんですけど、「ダメ!」って言って一切見せない(笑)。あれもドキュメントなんですよね。PVの作りなんですけど、実はドキュメントで、カメラ2台を回したあとでメンバーが入ってきて、(メンバーが)「おお、これは何だ!?」というところの表情を頼りに繋いでいったんですよ。それぞれの舞台で、「今度はJIROね?」という形で順に撮っていったんですけど、そこでのハプニングというのはいい方向にしかいかないんですよ。僕はそういうのが好きなんですよね。それはお客さんに対しても同じで、「この子たちはホントにGLAYのことが好きなんだな」「ホントにこの場に居てうれしいんだろうな」「ホントにこの曲を聴いて心底舞い上がってるだろうな」ってところを記録するのが好きなんです。それはどうしてかというと、映っている人たちは自分がそんな顔をしているなんておそらく分からないし、 個人々々の感情というものをつぶさに記録しておいてあげて、それを適材適所で入れてあげることによって、シンパシーというか──。

そこにある体温をちゃんと感じられるというか。

翁長 裕
そうそう。そういうことです。血を通わせたいというのがあるんですね。

翁長監督の作品にはそれが圧倒的にありますね。

翁長 裕
マスであろうが、すごいシンボリックな人たちであろうが、全然それは一緒で、そういう人たちが何を感じているのかというところに僕は興味があって、それが表現の原動力になっていると思います。

分かりました。今日は長々とお付き合いいただいてありがとうございました。最後に、翁長監督から『ONE LOVE Anthology』を手に取ってくれるGLAYファンに向けて一言いただけますでしょうか?

翁長 裕
はい。おそらく当時、『ONE LOVE』を最新作として受け止めてくれた人たち、ライブで盛り上がった人たちは、20数年経って、もう大人になっているわけじゃないですか? 家庭を持っている人もいるでしょうし、傷付いたり、立ち直ったりしてきたと思うんですけど、その当時、あなたたちが愛して慕っていたメンバーは、今のあなたたちからすると、子供と言ったら変だけれども、齢下なんですよ。でも、彼らは未だにすごいことをやり続けていて、それを好きだったあなたたちも頑張って生きているわけですから、自分自身を肯定する意味で見返してほしいなと。そんな気持ちがありますね。

文・帆苅智之

Vol.92 『ONE LOVE Anthology』Demo & Remix Review

リミックスを行なったレコーディング・エンジニアの競紀行氏本人にDISC1を全曲解説してもらった前回に引き続き、今回は『ONE LOVE Anthology』DISC2に収録されたデモ音源を解説する。ある意味、デモを聴いてもらうための『Anthology』シリーズである。今回収録されたデモも興味深く聴けるものばかり。GLAYの楽曲の数々は最初から皆さんが聴いた音源と同じ形ではなく、TAKUROを始めとするコンポーザーの作るメロディや歌詞があって、それをメンバーの手によってバンドサウンドで構成し、プロデューサーのアドバイスやエンジニアのテクニックによって磨きをかけて、本チャンの録音を経て完成にたどり着いたものである。このDISC2に収録されているのは、最終レコーディング前の言わば“仮組み”といったものではあるのだが、それだけにバンドとして最終形態をどう想像していたのか、あるいは想像していなかったのかが分かる、第一級の史料なのである。

2021.3.11

1. ALL STANDARD IS YOU Demo
1990年代にはこういうタイプのガレージ系オルタナバンドがいたなぁと思わせる、剥き出しのバンド感を感じるテイクだ。静と動のバランス、そのメリハリの効いた感じは、さすがに決定稿の方に軍配が上がるものの、ドラムを含めて各パートが個性的に鳴っていることがはっきりと確認できるところは(この楽曲に限った話ではないけれども)がデモのデモらしいところではあろうか。パッと聴いた感じでは決定稿とさほど印象が変わらない印象を受けるが、聴き進めていくうちに、歌詞、サビメロが異なっていることや、鍵盤の使い方の違いなど、制作過程が想像できるのも楽しい。
2. WET DREAM Demo
これも剥き出しのバンド感がカッコいい。決定稿ではエレキギターが隙間なく重ねられているが、デモの段階でも2本のギターがかなり濃く入っていたことを確認できる。サビで左右それぞれから聴こえてくるHISASHIとTAKUROのギターのタイプの違いや、間奏で見せる圧巻のツインソロなど、改めてGLAYがギターバンドであり、ハードなロックバンドであることを知らしめてくれるテイクと言えよう。コピーバンド向けの教材としてもおすすめしたいほど(マジで)。決定稿と聴き比べると、TERUのコーラスやギターを重ねることで“DREAM感”を出していることが分かって興味深い。
3. 嫉妬 Demo
イントロと間奏にはオペラ風のクラシカルな要素が配されており、デモの段階から楽曲の世界観がはっきり見えていたと思われる。ただ、歌の主旋律こそ大きく変わっていないものの、決定稿の“KURID / PHANTOM mix”とも、今回の『Anthology』版とも、まったく印象が異なるのがかなりおもしろい。その意味では、真っ先に3者の聴き比べをおすすめしたい楽曲である。個人的には『NO DEMOCRACY』収録の「Flowers Gone」を思い出したテイクではあって、と言うことは、つまり、ここにはGLAYがバンド結成時から元々持っていた“らしさ”があるのかもしれない。
4. HIGHWAY No.5 Demo
間奏での演奏が若干粗い印象はあるので、このままでもGLAYの音源として十分イケる…とまでは思わないまでも、名前を隠してインディーズでのリリースならあるいは…くらいには思わせるほどにはしっかりとした作りのデモ。サビの《高速道路大渋滞 自慢のターボかなり不機嫌さ》以外の歌詞がまるっと別の物ではあるが、何度か聴いていると「これはこれでいいかも…」と思うような味わいがある。完成版と聴き比べると、イントロでシンセっぽい音を加えたり、ギターを重ねたり、シンプルなパンクチューンを単調に聴かせない工夫が施されていることがはっきりと分かる。
5. Fighting Spirit Demo
DISC1のエンジニアを務めた競紀行氏をして「リミックスにあたって一番苦労した」と言わしめたナンバーだが、デモの完成度も高い。録音状態の粗さを除けば、このまま正式音源として発表することも可能だったのではないかとすら思わせるほどにバンドアンサンブルは整っている。サビ以外の歌詞はあまり変化がないように見えて、《人生の気高さよ》が《人生の不思議さよ》、《俺は何を学んだ?》が《人は何を学んだ?》、さらには《あの日をよく憶えている 人生の気高さよ》が《お前をよく憶えている 運命の気高さよ》など、完成に至るまで遂行を重ねたことがうかがえる。
6. ひとひらの自由 Demo
当初からレゲエをやりたかったことが各パートの演奏からはっきりと感じ取れる。これもまた、もう少しバランスを整えればこのままリリースできるレベルではあるだろうし、全体的には完成版との差異を大きく感じない。歌詞もほとんど変わってないようだ。おそらくこのデモ版のアレンジを基本としてレコーディングされ、それを当時のエンジニアがミックスしたのだろう。聴き比べることによって、ミックスのおもしろさを間近にできるだろうし、競紀行氏も指摘されていたように、佐久間正英氏のプロデュースの妙、アレンジ力を感じることもできると思う。
7. THINK ABOUT MY DAUGHTER Demo
最近のライブで聴いた印象とそう変わりがない…というと訝しがられるかもしれないけれど、実際に聴いてみるとおそらく納得してもらえると思う。決定稿よりもこのデモの方がライブっぽい。歌のメロディ、ギターサウンド、曲の展開と、楽曲の骨子そのものが最初の段階からしっかりとしていたことがよく分かる。また、当初から鍵盤が重要なポジションを占めていたこともこのテイクから確認することができる。逆に言えば、そうした完成度の高い楽曲だからこそ、初出から20年を経た今でもライブで演奏されているのだろう。
8. VIVA VIVA VIVA Demo
意外なほどにデモがしっかりとしていて驚いた。決定稿は遊び心が感じられるナンバーであって、その音のカラフルさからミキシングの段階であれこれ手を加えたのだと勝手に想像していたが、最初からこの独特の雰囲気はあったのである。ギターもデモの段階から結構重ねており、The Beatles「Tomorrow Never Knows」風ウミネコの音(?)、クリアトーン、1980年ニューウェーブ調と、様々な音色を聴くことができる。コーラスも同様で、サビに重なるハイトーン、エフェクトがかかったファニーなボイスもデモの時点ですでにあった。設計図がちゃんとしていたということだろう。
9. Prize Demo
これは一発録りだろうか。ドラムが大きく、ボーカルがやや控えめな印象で、一発録りじゃないにしろ、ラフミックス感が強く、デモらしいデモと言えるかもしれない。完成版はさすがにいろいろと整理されており、コーラスにしてもギターにしてもそのバランスによって楽曲全体がふくよかになっていくことがよく分かる。左から聴こえてくるギターがそのコード感、リズム共にややアンバランスのようでいて(特に1番Aメロが顕著)、そこがこの楽曲のポップさに繋がっているわけだが、このデモ版ではそれがはっきりと確認できるのもいい。HISASHIフリーク、必聴!
10. MERMAID Demo
最初にこのイントロを聴いた時、「何かのミスで別のアーティストの楽曲が紛れて込んだのか!?」と思ったほど、決定稿とはまったく異なるサウンドとアレンジ。TAKUROが仮歌を入れており、こういうテイクを聴けるのが『Anthology』シリーズの醍醐味だろう。以前、某番組においてTAKUROがマキタスポーツ氏と“シティ/アーバン論争”を繰り広げていたが、GLAYの中には、シティかアーバンか分からないが、確実にその精神が宿っていることをうかがわせるテイクである。しかし、このデモが、どうしてあの「MERMAID」になったのか……ホント不思議。
11. mister popcorn Demo
このDISC2に収録されているものはすべて聴き比べが楽しいものばかりではあるが、これは特にデモ、2001年の決定稿、『Anthology』版と順に聴いていくことをおすすめしたい。デモに何が加わって(あるいは何がそぎ落とされて)最終テイクになったのか、また、今回のリミックスではそこからさらに何が強調されたのかを探っていくというマニアックな聴き方ができる。意外にも(と言っては失礼だろうが)元々、二つのタイプの違うR&Rが合わさって構成されていたことや、楽曲の進行そのものはデモに忠実であることも確認できるはず。
12. 電気イルカ奇妙ナ嗜好 Demo
2001年に初めて聴いた時からカントリーっぽい曲だなと思っていた気がするが、このテイクを聴いてやっぱりそうだったのかと納得。そうは言っても、コテコテなカントリーではなく、そこからさらにアレンジを加えてポップに仕上げているところに、バンドならではの妙味が垣間見えるテイクと言える。決定稿では、まさに奇妙なデジタル音も重ねられた上、子供たちの声による合唱も入っているので、可愛らしいナンバーのように思えるが、その実、The Beatles「Yellow Submarine」にも近いサイケデリックロックと捉えた方がいいだろう。その秘密はデモの歌詞にある。
13. STAY TUNED Demo
決定稿のイントロとアウトロで聴こえるラジオDJの声が印象的でどうもそのギミックに耳が取られがちではあるが、DISC1でリミックスを担当した競紀行氏が「アレンジが素晴らしく(中略)ミックスも非常に良く出来ていた」と指摘している通り、そもそも楽曲そのものが相当しっかりと作り込まれていたことは、このデモからも分かる。ラジオDJのSFを除けば、決定稿とデモを聴いた時の印象は大きく変わらないだろう。強いて聴きどころを挙げれば、そのSEに隠れたバンドサウンドがはっきりと掴めるところだろうか。SEを入れて正解だったかどうかの判断は聴く人に任せる。
14. 君が見つめた海 Demo
サビメロを強調したかったのだろうか、このデモ版では所謂サビ頭になっているのがまず印象的。それ以上にそこに讃美歌風のシンセが乗っていたことにも新鮮な驚きがあった。完成した決定稿はチャイナ風なフレーズも加わっているし、AメロではJIROのベースが大分動いて躍動感を演出しているのだが、元々は荘厳なイメージであったのだろうか。そうかと思えば、今回のリミックスではより前面に出ているサビでのギターのアルペジオもこのデモ版にはなく、アコギのストロークが重ねられ、軽快さが感じられる。これまた決定稿に至るまでバンドアンサンブルを試行錯誤したことを想像できる。
15. 夢遊病 Demo
個人的には、ロッカバラードというところで、『NO DEMOCRACY』収録の「元号」を連想したが、こうしたフォーキーなメロディも確実にTAKUROのルーツにあることを示すと同時に、それをバンドサウンドで固めるとGLAYのロックになるというところでは、「夢遊病」はその代表的なナンバーかもしれない。タイトルからのイメージであろう、決定稿にも『Anthology』版にもサイケデリックなストリングスが配されているが、デモ版には外音がほとんど入っておらず(鍵盤と打ち込みのリズムくらい)、気持ちがいいほどにバンドサウンド全開である。音が活き活きとしている。
16. Christmas Ring Demo
とにかくサビのメロディが秀逸。キャッチーな「THINK ABOUT MY DAUGHTER」や「STAY TUNED」と同時期に、それらとは対極にあるような叙情性たっぷりの旋律を創造していたとは、この時期のTAKUROの仕事っぷりには敬服である。これも決して埋もれさせてはいけない名曲のひとつであろう。決定稿では個々の音がクリアに録られているし、ストリングスなどの外音が配されてはいるものの、びっくりするほどにバンドのアレンジは変わっていない。これは変えなかったのではなく、変えることができなかったと想像する。このメロディと世界観に大きく手を加えることは難しかったのだろう。
17. GLOBAL COMMUNICATION Demo
当時、アシスタントとしてGLAYのレコーディングに携わっていた競紀行氏によると、John Smithがミックスしたこの楽曲の決定稿を聴いた時、メンバー全員がそのすごさにぶっ飛んだという。それにも十二分にうなずける。このデモが稚拙だということではない。このデモ版も、歌詞を除けば、ほぼ完成形と言っていい。デモもしっかりと「GLOBAL COMMUNICATION」になっている。決定稿は外音の入れ方、バランス、推し引きが絶妙過ぎるほどに絶妙なのである。その意味では、このテイクを聴いた直後にDISC1の同曲を聴いて、当時のメンバーの驚きを体感してほしい。あと、今度ライブでこのデモ版の歌詞の再現を望む。
18. ONE LOVE ~ALL STANDARD IS YOU reprise 2021 ver.2~
DISC2収録曲ではこれだけがデモではなく、DISC1のラストに収録された「ONE LOVE ~ALL STANDARD IS YOU reprise 2021~」の別バージョン。すでに録音された音源の組み合わせを変えるだけで、まったく別の印象に仕上げることができるのだから、リミックスというのは本当におもしろい。いずれの「reprise」もまったく感触が異なる。個人的な感想を記せば、このver.2はどこか昭和の匂いがする。とは言っても、完全に過去に寄せたものではなく、サンプリング手法で過去へのオマージュを捧げるQuentin Tarantinoの映画のような味わい。
19. SPECIAL THANKS Demo
「とまどい」とのダブルA面シングルとしてリリースされた楽曲で、TAKUROがこちらを1曲目にしたいということで、「とまどい/SPECIAL THANKS」と「SPECIAL THANKS/とまどい」の2バージョンが製作されたということを知るファンも多いはず。オリジナルアルバム未収録のナンバーなので、『Anthology』シリーズに収録されないこともあり得たが、こうして例外的にデモが収録されたのはそれだけTAKUROの思い入れが強かったということだろう。デモ版はアコギ中心のラフな録音ではあるものの、元から歌メロが鮮烈なので、聴き応えはいい意味で変わらない。これも名曲。
20. BACK-UP Demo
TERU作詞作曲のシングル「STAY TUNED」のカップリング曲。ラウド系ミクスチャーロックと言っていいナンバーで、そのヒップホップ的要素がデモの段階から構想にあったことが分かる。注目はBメロの歌。デモではファルセットを使っていない。あの高音はこの楽曲のフックになっていてとてもいい感じなのだが、どの段階から完成版のアレンジになったのか興味深いところ。個人的には、そのファンキーさとボーカルのレンジの広さからちょっとばかしキ○○ヌーを連想したのだが、それはともかくとしても、20年前のGLAYの挑戦的姿勢を再確認させるところではある。
文:帆苅智之

Vol.91 競 紀行インタビュー

リーダー・TAKUROが自身のライフワークのひとつと公言する“Anthologyシリーズ”。その第8弾となる『ONE LOVE Anthology』のリリースが4月28日に決定した。デモ音源の収録や20年前の資料や写真なども相変わらず注目ではあるが、今回は、当時録音された音源を基に新たにミックス、マスタリングを行なったDISC1を今まで以上に注目していいと思う。というのも、今回リミックスを行なったのは、現在数多くのGLAY楽曲を手がけるレコーディング・エンジニアの競 紀行氏。当時はまだアシスタントであった氏が20年の時を経て、当時の空気感をそのままに、新たな解釈の元で楽曲の再構築を行なったのである。GLAYと共にキャリアを重ねてきた競氏だからこそ実現した『ONE LOVE』のアップデイト。その収録曲の聴きどころ、推し曲などを競氏本人に語ってもらった。

2021.02.23

まず競さんのプロフィールをお伺いしたいのですが、中学校、高校と放送部に在籍しておられて、そこからエンジニアを目指されたそうですね。

競 紀行
そうです。高校卒業後の進路を決めるところで、放送部にいてミキサーを触ったり機械いじりが好きでしたから、そういう仕事に就きたいなと思って、 「それに向けてどういう進路を取ったらいいか?」と調べて、日本工学院という専門学校に進むことを決めたんです。

高校の頃にはバンドをやっていらっしゃったとも聞いています。

競 紀行
ははは(笑)。まぁ、趣味のバンドで、ギターをちょろっとたしなむ程度でしたね。高校の文化祭でちょっと披露したりするコピーバンドで(笑)。

ちなみにその頃は何をコピーしていたんですか?

競 紀行
当時よく聴いていたのが、今で言うX JAPAN。あとはMotley Crue、Guns N' Rosesだとか、あの辺のハードロックが特に好きで、コピーしてましたね。

ハードロックがお好きで機械いじりも好き。それで音響にも興味を持ったという感じなんでしょうね。それで、専門学校を卒業されて、エンジニアの仕事に就いたと伺っておりますが、その後、佐久間正英さんと出会われたというのが、今のお仕事での競さんの大きなターニングポイントだったとも聞いております。その経緯を教えていただけますか?

競 紀行
卒業してから勤めた会社が2社ほどあるんですけど、その2つのスタジオで約2年間、アシスタントをやっていたんです。で、最後にいた一口坂スタジオで──今はもうなくなってしまったんですけど、四谷にあったスタジオで、そこでアシスタントをしている時に初めて佐久間さんに出会ったんです。エレファントカシマシとか、その時、佐久間さんがプロデュースしていた何バンドかのアシスタントに就いたんですけど、そこで佐久間さんに非常に気に入ってもらったんですね。そのあと、一口坂スタジオで1年間くらい働いてたんですけども、ちょっと事情があって辞めまして、一旦、音楽業界から離れたんですよ。半年ほど離れていたんですけど、ある時、佐久間さんから突然、電話がかかってきまして、「一口坂、辞めたんだって?」って訊かれて。「今、何してるの?」「フラフラしてます」みたいな感じで話してたら(笑)、「それじゃあ、ウチにおいでよ」って。それが1999年の2月頃だったと思いますね。

競さんから見て佐久間正英さんのすごさってどんなところでしたか?

競 紀行
佐久間さん以外の現場にもいろいろ就かせてもらったんですけど、佐久間さんはそのプロデュース能力が特殊と言うか、チープな言葉かもしれないんですけど、やっぱり天才な部分があって、そのさい配を見てて、「この人、凄いなぁ」と感銘は受けましたね。

そんな佐久間正英さんから「ウチに来ないか?」と誘われた時は、どんなお気持ちでしたか?

競 紀行
それはもう嬉しかったですね。自分は昔からバンドものが好きで、佐久間さんからご指名いただいた時もバンドものをメインに(プロデュースを)やられていたので、単純に嬉しかったです。

「すごい人とまた一緒に仕事が出来る」という盛り上がりがあったということでしょうか。

競 紀行
はい、そうですね。

さて、読者の中にはレコーディング・エンジニアという仕事についてよくご存じない方もいらっしゃると思いますので、初歩的な質問をひとつさせてください。今回の『ONE LOVE Anthology』のDISC1は『ONE LOVE』のリミックス&リマスタリングです。ミックス、およびマスタリングというものを、それを知らない人に説明していただくとすると、どうなりますか?

競 紀行
(『ONE LOVE Anthology』での)私の仕事はリミックスまでで、今回リマスタリングはやっていないんですが──よく私は料理、調理に例えるんですけども、ミキシングの前段階でまずレコーディングという作業があります。そのレコーディングというのは、材料を買ってきて、食べやすいように切ったり、下ごしらえすることだと思うんですね。で、ミキシングはそれを調理することです。煮るなり、焼くなり、炒めるなり。あとは、皆さんにより美味しく召し上がっていただけるようにスパイスを加えたりとか、火加減も調整したりして、ひとつの作品が出来上がる。そのあとでマスタリングという作業があります。それは分かりやすく言うと、盛り付けですね。単純にお皿にドンと盛り付ける場合もありますし、そこに花を添えたり、ソースを垂らしたりとか、そういう作業がマスタリング。そんな流れでしょうかね。なかなか一言で説明するのは難しいんですけど、読者さんにはそれが一番、想像しやすいかなと思います。

レコーディングではボーカル、ギター、ベース、ドラムそれぞれの音をそれぞれに録りますが、それを文字通り混ぜ合わせるのがミキシングですね。

競 紀行
そうですね。今回の『ONE LOVE Anthology』に関しては、私がそれをやらせていただきました。過去に録った素材はすべて揃っているわけで、それを調理いたしました。

分かりました。それでは、競さんとGLAYとの出会いの話も伺いたいと思います。競さんが佐久間正英さんのスタジオに入られたのが1999年ということでしたが、GLAYとの最初の仕事は何だったのでしょう?

競 紀行
えーっと……20年前なんでうろ覚えなんですけど(苦笑)、入社が1999年2月頃ですから、『HEAVY GAUGE』のレコーディングが終了間際だったと記憶しています。確か「HEAVY GAUGE」という曲のダビングで何回かアシスタントに入ってましたね。

1999年と言うと、すでにGLAYは大ブレイクをしていた頃でした。一緒に仕事をする前はGLAYのことをどんな風にご覧になっていましたか?

競 紀行
えーっと自分は……「氷室(京介)さんによく似た雰囲気のバンドだなぁ」って思ってました(苦笑)。でも、曲はすごくいいので、「いいバンドだなぁ」と思って見てましたね。好きとか嫌いとかではなくて、単純に“今、売れてるアーティストさん”という印象ですね。覚えているのは──これは佐久間さんのスタジオに入社する前、そこで面接を受けている時のことなんですけど、メンバーがライブ終わりに機材を運びに来たんです。ドッグハウス・スタジオという名前のスタジオだったんですけど、わざわざメンバー自ら来られてて。あんまり小奇麗じゃないお兄さん方が機材を運んでるんで、「誰だろうな?」とよく見たら、TERUさんとTAKUROさんだったという(笑)。1999年ですからGLAYはすごく売れていた時期ですけど、機材は自分たちで運んでいたりしている姿を見て、「ああ、偉いな」という印象はありましたね。

すでにスーパーバンドではあったけれども、オフステージでは若手バンドと変わらない姿であったということですね。あと、競さんは札幌のご出身とのことですけど、同じ北海道出身者として、GLAYのメンバーとは話が合うとか、意気投合するようなところもあったんでしょうか?

競 紀行
そうですね。一緒に仕事をするようになっていく上で、同郷というところでの話の共通項とかで通じ合うものはどんどん出てきますよね。ただ、自分は当時まだ全然ペーペーだったので、メンバーさんと親しくコミュニケーションを取るとか、普通に会話する感じではなくて、アーティストさん(とアシスタント・エンジニア)という感じでした。

競さんはアルバム『HEAVY GAUGE』のレコーディング終盤で佐久間正英さんのスタジオに入社されたということでしたが、本格的にGLAYの楽曲を手掛けるようになったのはいつ頃だったんですか?

競 紀行
私が直接レコーディングを手掛けるようになったのはもう少しあとで、2005年頃でしたでしょうか──いや、『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』でもやってましたかね? ……これはこのあとの話にも繋がっていくんですけど、『ONE LOVE』、そしてそのあとの『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』のレコーディングではJohn Smithというエンジニアがいたんですけど、彼の代わりにちょこちょこと歌を録ったりダビングしたり、スタジオをパラって(別々にして)レコーディングする場合もあったんで、他のスタジオへ行ってそこで私がレコーディングすることもあったんですけど、本当の駆け出しのエンジニアの仕事をさせていただいてて、まだメインではなかったんですよ。

そうしますと、今回、競さんが『ONE LOVE Anthology』のリミックスを手掛けられたというのは、何とも興味深いし、競さんにとっては感慨深いことなんでしょうね。

競 紀行
そうですね。本来の流れであれば、たぶんイギリスに居るJohn Smithにお願いするところなんですけど、彼の消息が分からないんで、そういったところで、以前TAKUROさんと話した時に「それじゃあ、競くん、やる?」みたいな話はちょっと振られていたんです。その話を受けて私自身もやりたいと思いましたね。当時のことを覚えているのは私しかいないですし、やるなら自分しかいないだろうと。

2001年の『ONE LOVE』のレコーディングはどんな感じだったのでしょうか? 競さんから見てその空気感はどんな感じだったのか覚えていらっしゃいますか?

競 紀行
空気感……そうですね、当然メンバーさんは当時ものすごく忙しい時期で、今回リミックスするにあたって当時のトラックのキューシートというものを見直したんですけど、時期が集中してるんですね。2001年2月、5月、9月の3回だけなんですよ。レコーディング期間と言ってもおそらく(それぞれ)1~2週間くらいだったと思うんです。皆さん、それくらい集中してダダっと録ってミックスするという流れでしたね。『ONE LOVE』からエンジニアがJohn Smithになって、初めて会うエンジニアが手掛けてくれるというところでメンバーはすごく喜んでいましたね。不安混じりでもあったのでしょうけど、Johnというエンジニアに期待はしていたと思います。

『ONE LOVE』は全18曲入りと大ボリュームなアルバムでしたから、短期間でのレコーディングだったというのは驚きですね。

競 紀行
そうですね。このアルバムの前後2枚くらいは本当に短期集中でワーッと録っていたような時期だったんですね。そういう時代だったというか。その次の『UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY』も曲数が多かったですから、多分TAKUROさんの才能が一番、溢れていた時期なんでしょうね。多岐に渡ってものすごい曲のストックがあるという。

数多くの曲を作るのもすごいことですけど、それを録るのも大変だったでしょうね。相当タイトなスケジュールの中でレコーディング作業を行なっていたんだろうと思いますね。

競 紀行
今じゃ考えられないですけど、わりと深夜までレコーディングしていたことを覚えていますし。

今ほど“時代”と仰られましたけど、2001年頃にはその時代ならではの音の流行などはあったのでしょうか?

競 紀行
僕が現場で働いていて一番、印象に残っているのは、当時はまだデジタルマルチトラックレコーディングで、48チャンネルで、テープを録っていたんですけど、そこから“Pro Tools”を使ってコンピュータで録音する技術にちょうど移行する過渡期だったことですね。ちょっと話は変わりますが、この『ONE LOVE』はテープで録ってるんで、演奏する人の気持ちが非常に籠っているなと──今回そこを一番、感じましたね。完璧ではないにせよ、勢いを詰め込んだというか。コンピュータで録ってないですからUndo(=ひとつ前の操作に戻ること)が効かないわけですよ。だから毎回々々テイクを重ねる度に気持ちを込めて演奏していることをすごく感じました。

なるほど。それでは、ここからは具体的に『ONE LOVE Anthology』について伺っていきたいと思います。私も一早く拝聴させていただきましたが、音の粒立ちの良さと言うんでしょうか、全体的にそこは感じたところではありますね。競さんが今回のリミックスにあたって意識したことはどんなところでしょうか?

競 紀行
まさに今仰られたところですね。音の粒立ちというか、ひとつひとつの音がクリアに聴こえるように…と──そこが一番、重きを置いたところですね。もちろん当時のJohnのミキシングも素晴らしいんですけど、聴こえづらい部分が若干ありまして、そこにフォーカスを当てて、よりクリアに聴こえるように…ということが一番、目指したところです。

収録曲順に訊いてまいります。1曲目「ALL STANDARD IS YOU」。これはドカンと行くところとそうではないところが分かれているので、ミックスの違いを聴き分けるのが好例と言えるナンバーではないでしょうか? 

競 紀行
これはDJ Mass MAD Izm*さんを始め、いろんな方がリミックスをやられていていろんなバージョンが存在するんですけど、純粋にオリジナルな音源を使ってやるのであれば、これくらいのメリハリはほしいなと。そういうところを表現した感じですね。メリハリと音の分離──そこを一番、意識しました。

スクラッチノイズまで入っているのでかなりゴチャっとした印象があるかと思いきや、ギター、ベースはもちろんのこと、ドラムのシンバルやハイハットといった音もクリアに聴こえてカッコいいですよね。

競 紀行
ありがとうございます。本来この曲が持っているポテンシャルはこれくらいないと…という感じですよね。

2曲目は「WET DREAM」。個人的にはボーカルのディレイが印象的で、おもしろい奥行きのあるサウンドだなと思って聴かせてもらいましたが、競さんとしてはどんな印象がありますか?

競 紀行
“遊ぶ”という言い方をしていいかどうか分からないですけれども、この曲は意外と“遊ぶ”隙間がなくて。リミックスするにあたっては、せっかくなんで(オリジナルとは)違うテイクを持ってきて、それと合わせて…ということもやりたかったんですけど、「WET DREAM」にはその余裕がなかったので、すでにある素材を使って、オリジナルよりもスピード感を増したミックスがいいと思って、それを表現してみました。なので、僕なりの解釈で処理した結果、いろんなものが良く聴こえるようになっているんだとは思いますし、その意味ではリミックスとして成功したのかなとはいう風には感じてます。僕もこの曲は好きです。

シンセも結構、入ってますかね? 隙間がないというのは素人でも感じるところではあります。

競 紀行
シンセは入ってなかった…かな? 

とすると、あのデジタルっぽい音はギターですか? 

競 紀行
ギターですね。特にイントロで鳴っているのはオリジナルよりは今回かなり出して、ヘヴィにしてあります。これ、ギターがものすごくいっぱいあったんですよ。ギターが壁みたいになっていたんで、そこを頑張って、上手いこと出してあげましたね。

ギターに関して言えば、これは「WET DREAM」に限った話ではないですけど、2本のギターのコントラストがはっきりとした印象がありますよね。

競 紀行
そうですね。TAKUROさんとHISASHIさんのギターは当時からわりとはっきりと特徴を出していて、使うアンプも違うし、プレイスタイルも当然違うんで、キャラが分かれているんですけど、一聴して「これはHISASHI、これはTAKURO」と認識できるようなことは意識してミックスしましたね。

次の3曲目「嫉妬」もギターの音がパキッとしていますよね。ギターバンドならではのサウンドといった印象があります。

競 紀行
はい。私がこの曲にこだわったのはサビのギターで、オリジナルではほとんど聴こえていなかったんですよ。今回のリミックス作業をしていく中で、改めてサビのギターがものすごくカッコいいと思いまして、そこを大フィーチャーしたんです。実はよく聴くと歌メロとあんまり相性が良くなくて、歌と(ギターとが)喧嘩する部分があって、だから、おそらく当時は(ギターの音量を)下げたんじゃないかと思うんですけど、カッコいいから今回はあえて──あそこはHISASHIさんのギターのサンプリング音だと思うんですけど、出してみました。

なるほど。アルペジオ、ストロークとギターがいろんな表情を見せる楽曲ですよね。あと、ダンサブルなリズムもおもしろく感じます。

競 紀行
そうですね。これが初めてではなかったんでしょうけど、(『ONE LOVE』では)この曲だけドラムが打ち込みなんですね。草間敬さんがマニュピレーターをやられていて、当時、自分もそこにエンジニアとして立ち会ったんですけど、わりと実験的なことで、当時からその打ち込みのドラムとサンプリングのギターの絡みがすごくカッコいいと思っていたんですよ。でも、いざ出来上がってみたら、当初の印象からはオリジナルのミックスは全然違うものになっていたので、それを今回、改めて掘り下げてみました。

「嫉妬」は『ONE LOVE Anthology』の中では競さんの推し曲と言えるでしょうか。続いて4曲目「HIGHWAY No.5」に行きます。これ、基本はシンプルなR&Rだと思うんですけど、アレンジやミックスによって単純なそれにしてないように感じましたね。

競 紀行
はい。オリジナルのミックスがまさにストレートなロックだったので、“HIGHWAY”というくらいなので、もうちょっとスピード感がほしいなと思いまして、そこは意識しましたね。あとはサビで車が走り抜けていくような音があるんですけど、あそこはサンプリングし直して音を変えてみたんです。よく聴いていただけるとその違いが分かるんではないかと思います(笑)。

あ、そうでしたか。オリジナルとの音を変えていることは分からなかったですけど、あそこの車の音は随分と印象に残ると思って聴いてましたよ。

競 紀行
そうなんですよ。オリジナルの方は意外とあっさりだったんです。なので、もうちょっと出してもいいかなって(笑)。

“HIGHWAY”っぽさを増加させたわけですね(笑)。で、5曲目は「Fighting Spirit」です。

競 紀行
これは……正直に言いますと、リミックスにあたって一番苦労したんですね。何に苦労したかと言うと、GLAY王道のドストレートなミディアムのロックなので遊ぶ要素がない(苦笑)。歌と楽曲が持っている良さを出すためにバランスを見直して、音の分離を意識したんですけれども、それを一度メンバーさんに投げたあとに「ここをもうちょっと…」というリクエストがありまして。最初に自分がミックスしたのはもうちょっと大人しい印象だったんですけど、意外にもTAKUROさんからは「(BOØWYの)「B・BLUE」ばりに派手にしてくれ」と言われまして。ドラムにはゲートリバーブみたいなのをかけてわざとああいうテイストにしています。

この「Fighting Spirit」は、メロディはGLAYのもうひとつの王道である一方、サウンドは結構複雑で、その合わさった感じがおもしろいと思っていたんですけど、そこにはTAKUROさんのリクエストがあったんですね。

競 紀行
音に関してはそうですね。

2番から入ってくるギターが妙にノイジーだったり。

競 紀行
あそこはHISASHIさんですね(笑)。

60年代を感じさせる音もあったりと、いろんな表情のギターが聴けるのもおもしろいところだと思いますね。次に6曲目「ひとひらの自由」。レゲエナンバーで、コーラスに本場のシンガーを起用しているところは大きなポイントではないかと思います。

競 紀行
ゴスペルシンガーですね。私がオリジナルを聴き直した感じでは(そこが)あんまり出てなかったんで、リミックスの方ではガッツリとフィーチャーしています。この曲に関しては(オリジナルから)大きく印象を変えたくなかったんですよ。オリジナルには“Johnny the peace mix”というネーミングが付いてましたが、わりとあっさりというか、ドライなおとなしめのミックスだったんで、せっかくゴスペルの人がいるので教会で一緒にやっているみたいな雰囲気で、一体感のあるようなところを目指しましたね。なので、大きく印象は違わないようにはなっているんですけど、よく聴くと、いろんな音が出て来ると思います。

私、オリジナルとしっかり聴き比べたわけではないですけど、今回のバージョンを聴いて「GLAYの楽曲に、こんなにブラックミュージックの要素がある楽曲はあったけ?」と思ったんですが、ゴスペル要素が前に出ているからそう感じたのかもしれませんね。

競 紀行
それもありますし、(レゲエの)曲調にもより注目して形にした結果、そういう印象をお持ちになったのかなと思いますね。

個人的に興味深く感じたのは、アウトロ近くでドラムレスになる箇所がありますよね? あそこではTERUさんの歌に並走してJIROさんのベースが重なります。ボーカリストの作品であれば、あそこにベースは入れず、当たり前のように歌だけにすると思うんですけど、そうなってないのは、バンドならではのことなんだろうなと想像しました。

競 紀行
そうですね。バンドっぽさですね。あとは佐久間さんのプロデュースの妙というか、アレンジ力もあるでしょうね。

なるほど。7曲目「THINK ABOUT MY DAUGHTER」。タイトルからテンポが想像出来ないアップテンポのナンバーです。

競 紀行
これは今回リミックスしている時にキューシートを見て気付いたんですけど、このミックスの完成日が2001年9月10日だったんですね。初めて気付いたんですけど、そういう時期に出来た楽曲だったんだということは言っておきたいと思います。楽曲に関しては、これこそ最近のライブでよく演奏されているので、あんまり印象を変えたくないと。しかも、より遊ぶ余地もなかったんで、スピード感重視で、オリジナルではあまり聴こえなかったコーラスをフィーチャーしつつ、再構築しました。

最近ライブでよく演奏しているので、その雰囲気を損ないたくなかったという感じでしょうか。

競 紀行
というか、ライブでやっているプレイとオリジナルの音源はあまり変わらないんです。なので、下手に違うテイクを持ってきたりすることは出来ないというところですね。

そうでしたか。ライブで聴くと言えば、次の8曲目「VIVA VIVA VIVA」もたまにライブで聴いて「おもしろい曲だなぁ」とは個人的に思ってましたけど(笑)──。

競 紀行
そうですね(笑)。僕、この曲は結構、好きなんですよ。わりと激しめなロックで、「これで遊んだらどうなる?」という解釈なんですけど、ミックスに関して言えば、これも「何でこんなにたくさん入ってるんだ?」ってあり得ないくらいギターが入ってたんですね。それを整理し直して、新解釈で僕がエディットというか、「ここは使って、ここも使って」というギターの並び替えをしました。あと、この曲だけ、昨年の12月のさいたまスーパーアリーナ(=『GLAY DEMOCRACY 25TH "HOTEL GLAY GRAND FINALE" in SAITAMA SUPER ARENA』)のライブで演奏したテイクを貼り付けてます。

あ、そうなんですか!?

競 紀行
それはTAKUROさんからのリクエストで。特にサビなんですけど、この曲だけ、2020年、2021年のテイストが入っています。

個人的な感想では、サビに向かって徐々にサウンドがまとまっていくおもしろさがあると思って。ギターだけを追っていくと、「これはどこへ行くんだろう?」という感じなんですけど、ちゃんとサビへ辿り着くと。あと、間奏は初めて聴いたら「これは今どこを弾いているのか?」と思うようなところもあって、素人考えでは「こういうのは録る人も大変なのではないか」と思ったところではあります。

競 紀行
ああ、そうですね(笑)。ギターの本数が多いので、「このパートは誰を活かせばいいのか?」みたいなところはあったと思います。……そうそう、思い出しました。この曲はソロパートが2カ所あって、後半がHISASHIさんで前半がTAKUROさんなんですけど、TAKUROさんのソロだけ(オリジナルとは)別テイクを使いました。

当時、使わなかったテイクを今回、使ったわけですか?

競 紀行
はい。全部で3テイクあって、オリジナルではテイク1が使われているんですけど、今回のリミックスではテイク2を使いました。

それはまたどうしてだったでしょうか?

競 紀行
「別テイクもあるんだ?」と分かって聴き比べてみたら、「僕的にはテイク2が好きなんだけどなぁ」という(笑)。

今回の「VIVA VIVA VIVA」前半のギターソロは聴き比べポイントだというわけですね。続きまして9曲目「Prize」。ブラストのリズムで入るパンクチューンで、バンドサウンドは比較的シンプルだと思うんですが──。

競 紀行
そうなんです。シンプルなので、これも遊び要素がなかったんです(笑)。ですので、バランスとスピード感と音色を丁寧にやり直して再構築したという。

あれはサンドバッグですかね。2番のサビ前で何か叩くような音を入れていますよね?

競 紀行
あ、あそこは強調しました(笑)。オリジナルでは(演奏が)そのまま流れていったんですけど、今回は演奏をバッツリ切ってSEを強調しました。そうですね。そこだけはちょっと遊びましたね(笑)。

10曲目は「MERMAID」に行きましょう。

競 紀行
「MERMAID」だけ、『ONE LOVE』のレコーディングの流れではなくて、その前の年に録ってるんですよ。

「MERMAID」は2000年のシングルですね。

競 紀行
この曲だけ、エンジニアがMichael Zimmerlingなんです。Michaelのミックスがこれまた非常に良く出来てまして(笑)。Michaelに敬意を表して…というわけではないんですけど、ギターにしても何にしてもアレンジが完璧に仕上がっていて、すべてが完璧に整っているので、あえて崩したくなかったので、「改めて私が丁寧にミックスさせていただきました」という感じですね(笑)。

そう言われてみれば、シンセ、ストリングスが出て来る順番とか、そのボリュームとかが絶妙な印象はあって、素人から見ても崩しづらいんだろうなという感じはしますね。それでは、11曲目「mister popcorn」。これもR&RはR&Rなんでしょうけど、ちょっとおもしろいサウンドになっていますよね。

競 紀行
これはわりと遊べる要素があったので、オリジナルがバンドサウンドであったのに対して、僕はかなり遊ばせていただきました。サビ前、Aメロとかでは──これは生ドラムなんですけど、あえてゲートをかけて打ち込みっぽくして、サビでバンドに戻る…みたいなテイストで仕上げてみました。なので、この曲はオリジナルとは違った雰囲気を楽しんでいただけるのではないかと(笑)。

後半がかなりごちゃっとして行きますよね?

競 紀行
カオスですね(笑)。当時の時代性もあったんでしょうね。「VIVA VIVA VIVA」もそうでしたけど、カオスっぽい雰囲気──1999年から2000年に変わっていく時代の中で、「何か皆おかしかったんじゃないかな?」という雰囲気は(笑)、ここに込められてますね。

1999年から2000年にかけてって音楽業界全体が沸き立っていた頃じゃないですか?

競 紀行
すごく沸き立ってましたもんね。浮かれてたんですよ。…まぁ、その言い方もどうなのかと思いますけど(苦笑)、実験的なことも含めて、ミュージシャンの人たちは遊び要素を作品に閉じ込めることが自由に出来た時代だったのかなと思いますね。

なるほど。次は12曲目「電気イルカ奇妙ナ嗜好」です。これは元々かなりカラフルな楽曲という印象ですね。

競 紀行
HISASHIさんの楽曲ですね? そうですよね(笑)。オリジナルこそ遊んでいて、ドラムが左に居たりとか、そういう感じだったので、僕も違う遊びをしてみようかと。これもドラムはガッツリと打ち込み加工にして、サビとのダイナミクスの違いを出してみました。あと、ひとつおもしろいエピソードがあって、僕のメモによると、間奏前後にちょっと変わったコーラスワークがあって、そこに変な声が入ってるんです。気付きましたかね? 今回、思い出したんですけど、あれはTERUさんのコーラスで、当時コーラスを録ってる時、「ここは思い切り変にしたい」って、その頃に流行っていたヘリウムガスを吸って歌っていたんです(笑)。皆で爆笑しながら聴いてましたね。

そうですか(笑)。当時は、メンバーはもちろんのこと、競さんたち、レコーディングスタッフもすごく忙しかったとは思いますが、そんな中でもユーモアであったり、遊び心であったりを忘れていなかったという、それが分かるエピソードですね。

競 紀行
そうですね。メンバーもすごく忙しい中でレコーディングしていたんで、疲弊はしていたと思うんです。ただ、それでも遊び心を忘れないというのは、GLAYのメンバーの一番いいところではありますよね。お互いに冗談を言い合って、常に笑いが絶えないという、楽しいレコーディングでしたよね。

「電気イルカ奇妙ナ嗜好」はそうした当時のレコーディングの空気感もうかがえるナンバーなのでしょうね。13曲目「STAY TUNED」は、曲の頭とお尻にラジオDJ風のボイスが入っていて、その雑多な感じは、アルバム『ONE LOVE』を象徴している楽曲と言えるでしょうか。

競 紀行
仰る通り、アルバムを象徴するというか、この時代のテーマソング的な意味合いもあるのかなと。これもアレンジが素晴らしく良く出来てまして、リミックスするにあたり、崩せないと(苦笑)。(オリジナルの)ミックスも非常に良く出来ていたので、Johnに対する敬意を含めて、バランスとスピード感に注意しながらリミックスしましたね。

「STAY TUNED」について個人的に感じたのは、アコギとかシェイカーとかの生音がパキッとクリアに聴こえることで。サウンドが雑多ですから生音は埋もれがちだと想像するんですけど、そうではないところがすごく印象的でした。

競 紀行
埋もれがちなんですけど、バランスを重視していく上で、それらは必要な要素ではあったんで、そこは大事にしました。シェイカーはスピード感が出ますしね。

14曲目「君が見つめた海」。これはいい曲ですね。

競 紀行
いい曲ですよね。ただ、わりとオリジナルはあっさりとしていたというか、そこも当時の時代性だったんですかね? このアルバムは(全体的に)ウエットなサウンドではなく、かなりドライめな処理が目立つんですけれども、今となっては「もうちょっとウエットでもいいのかな」というところで、サビでのアコギのアルペジオとコーラスをかなりフィーチャーして潮風的な雰囲気にしていますので、そこを聴いていただけたらと思いますね。

わりとギターの音が厚めなのかなという印象も受けましたが。

競 紀行
あ、そうですか? でも、この曲の演奏はシンプルですよ。そう感じたとすれば、僕の音の処理に関係しているのかも。ギターの音を少し太くしたところはあったかもしれませんね。

了解です。15曲目は「夢遊病」なんですけど、個人的には今回で一番おもしろく聴かせてもらったのはこの楽曲ですね。オリジナルを聴いた時はそのサウンドからそれほど「夢遊病」な印象を受けなかったんですけど、今回は完全に「夢遊病」になっていると思います(笑)。

競 紀行
ありがとうございます(笑)。僕も「夢遊病」であることは意識しました。

サイケデリックロックですよね?

競 紀行
そうです、そうです。そこら辺は意識しました。サビでHISASHIさんが弾いているフレーズとストリングスとの絡みがすごく秀逸で、そこを強調してみたんですけど、そこら辺でサイケデリックを感じられるのかなと思います。

プログレの匂いもしますね。

競 紀行
はい。この曲をリミックスしていて気付いたのは、この大分あとで「BEAUTIFUL DREAMER」という曲があって、そこでも象徴的なのはストリングスとHISASHIさんのギターのメロディとの絡みはあるんですけど、「夢遊病」にはその片鱗があって、「この頃から意識していたのかな」ってところは感じました。

ロックバンドに合ったストリングスと言いますか。

競 紀行
はい。ストリングスに絡むギター。そこが(「夢遊病」と「BEAUTIFUL DREAMER」とは)似てるんで、上手く絡ませたいというところもあったんでしょうね。

あと、「夢遊病」には、紫雨林のイ・ソンギュさんのギターとキム・ユナさんのコーラスが入っています。その辺は当然、意識されたでしょうね。

競 紀行
そうですね。無くしてはいけないし、「ちゃんと聴こえないと…」というところでは意識しました。実は彼女の声のことがまったく記憶になくて──当時のキューシートを見たら僕が録ってるんですけど、20年前なんで記憶が欠落してて(苦笑)。でも、曲の中では大事な要素なんですよね。

そうですよね。彼女の幻想的な声はサイケやプログレ要素に合っていて、このコーラスは重要だと思います。

競 紀行
あそこは韓国語で(「夢遊病」の)歌詞に絡んでいるんですよ。

あ、そうでしたか。それを聞くと、ますますコーラスが重要なファクターであることが分かりますね。16曲目「Christmas Ring」。これもいいサビメロを持つ曲ですね。

競 紀行
いい曲ですよね。これもオリジナルはドライであっさりしていたので、世界観を広げるためにウエットにしてバランスを重視してみました。トラックを見て気付いたんですけど、このピアノはTAKUROさんなんですよね。ドラムと一緒に録ったテイクなんです。同録というヤツですね。

スローテンポだからなのか、ドラムを入れて5人の音の絡み合う様子がよく分かる楽曲だと思います。

競 紀行
それもあると思いますし、演奏も意外とシンプルなので、(それぞれの音が)よく聴こえるのではないかと思います。

17曲目「GLOBAL COMMUNICATION」。これも「STAY TUNED」と並んで、2001年の時代性を感じることが出来るナンバーですね。

競 紀行
そうですね。これはJohn Smithというエンジニアにお願いして、彼が日本に来て最初にミックスした楽曲なんです。で、そのミックスを聴いた時、メンバーも僕も全員がぶっ飛んだという(笑)。「すげぇな!」って。『ONE LOVE』というアルバムを作るにあたり、これを一発目に持って来たというところで、自分にとっても非常に思い出深い曲だったので、これもまた敬意を表して丁寧にミックスしました。

なるほど。「GLOBAL COMMUNICATION」がこういう仕上がりになって、アルバム『ONE LOVE』の制作が勢いの付いたところがあったんでしょうね。再三言うようですが、これもまたいろんな音が入ってミックスされているものの、じっくり聴くと根底をしっかりとバンドサウンドが支えていることがよく分かる印象ではありました。

競 紀行
はい。やっぱりバンドですからね。そこは一番、意識してミックスしているところですし、20年経って改めて聴いても「ああ、いい演奏だな」というのも感じてもらえればと思います。

分かりました。で、ラストが「ONE LOVE ~ALL STANDARD IS YOU reprise 2021~」ですけれども──。

競 紀行
これは私のミックスではなく、DJ HONDAさんです(笑)。オリジナルも確かHISASHIさんとDJ HONDAさんとで作っていたそうで、「今回もHONADAさんにお願いしよう」ということになったそうです。

これだけ随分と雰囲気が違うなと思ったところではありましたが、そういうことでしたか。さて、それでは最後に、リスナーに向けて競さんから一言いただけますでしょうか。

競 紀行
Anthologyシリーズを(オリジナルとは)違うエンジニアが手掛けるというのは今回初めてということで、僕自身、戸惑った部分もあるんですけど、20年前の若かった自分を思い出して(笑)、改めて気持ちを込めてミックスしました。20年経っての新解釈というところで、ファンの皆さんには違いを感じてもらいつつ、楽しんで聴いてもらえたら嬉しいですね。

文・帆苅智之

RECENTLY NEWS