多様性や多面性にとどまらない多層性 FREEDOM ONLY その多層性

自由はひとつじゃない。
誰かの自由は、誰かの制約になったりもする。
自由はひとつじゃない。
勝ち取らなければいけない自由もあるし、
バカになるっていう自由もある。
価値観は無数に存在する。
ただし、それらはバラバラであっても、
違いは互いに影響しあい連なっている。
多様性だって、本当は、
多層に連なっているはずなんだ。
歴史やルーツから逃れられないように、
認めて許容することで手に入れられる、
新しい自由もあるはず。
GLAY は、とりあえず、自由になってみた。
バンドなんだ。無邪気でいいんだ。

GLAY FREEDOM ONLY

GLAY LAYER 1 俺たちは未来に対してとっても素直
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GLAY LAYER 2 気持ちは何層にも分かれている
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GLAY LAYER 3 GLAYには事件なんて一個もない
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GLAY LAYER 4 映画『FRIED GREEN TOMATOES』
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GLAY LAYER 5 人間の本質をアートに昇華させられたら
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GLAY LAYER 6 人間は最後に間違いを犯す
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GLAY LAYER 7 ひとりの人間として感じたことを歌にする
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GLAY LAYER 8 人は気を付けながら進んでも間違えたり転んだりする
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GLAY LAYER 9
GLAY LAYER 10 誰も罪深さ、残酷さを書いてくれない
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GLAY LAYER 11 “自分のための正しい音楽史”みたいなアルバム
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GLAY LAYER 12 “maj7”をようやく使いこなせる
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GLAY LAYER 13 言葉に出来ない人間臭さ
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GLAY LAYER 14 膨大な日本の音楽を自分の血肉に
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GLAY LAYER 15 走馬灯のページをめくる
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GLAY LAYER 16
GLAY LAYER 1

「俺たちは未来に対してとっても素直」

俺たちは未来に対してとっても素直なところがあって、 ドームツアーの中止に関しては多分、皆が思ってるほどには深刻に受け止めたメンバーはいないんじゃないのかというのが俺の印象ですかね。当時の心境は“まだよく(新型コロナウイルスのことが)分かっていないのに、あんなに人を集めちゃヤバイよね”“自分が好きなGLAYはそれをよしとしないだろう”と思った記憶があります。歴史を振り返ってみた時に人間の取るべき行動は過去からいっぱい学べるじゃないですか? 人間はいつも最後の最後に間違えるけれども、そうだとしても、それが自分の愛したGLAYであったり、“もし自分が相手の立場だったら…”と考えた時に取る行動に関しては迷いもなければ、後悔もないですよね。“生きてりゃあ、またやれるでしょ”っていう。

GLAY LAYER 2

「気持ちは何層にも分かれている」

気持ちとしては何層にも分かれてて。例えば、今、仕事の面でとっても辛い思いをしている人たちの気持ちは、100%は無理かもしれないけれど、自分たちも同じような立場に置かれたのでちょっとは分かる。で、それとはまったく真逆で、ウイルスというものを紐解いていった時、(コロナ禍は)その進化の過程であることは間違いなくて、それは学術的な事実だったりする。“大好きな人が死んだらどうしよう?”というのもあるけれども、“街の居酒屋さんが大変だ”というところもある。さらに人間の死というものを超えた歴史的な事象でもあって、毎日々々、いろんなポジションになって考えを張り巡らせていくと、むしろ落ち着きますよね。物事の見方はひとつの面だけでないという。

GLAY LAYER 3

「GLAYには事件なんて一個もない」

(「FRIED GREEN TOMATOES」を)レコーディングした時に街でよく流れている、あいみょんの曲のことがたまに頭を過って、“彼女の抑制の効いた曲の数々は今の自分の気分に合うなぁ”って。ガチャガチャしてないし、シンプルで、いいメロディーといい歌詞、いいキャラクター。“あ、「FRIED GREEN TOMATOES」をリリースするのは今なのかも”って、彼女の存在に触発された部分はあります。“自分らももっと肩の力を抜いて、やたらと派手にしなくても、ドラマティックにしなくてもいいんだ”という。あと、『ONE LOVE Anthology』(DISC 3収録)のドキュメントを見返してて思ったんですけど、GLAYには事件なんて一個もないんですよ。でも、20年後となると事件なんかなくても十分に見られるというか、人間が生きてゆく中で日々の場面は決してドラマティックではないけれど、“ああ、俺たちはこうだったな”という。

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映画『FRIED GREEN TOMATOES』

映画『FRIED GREEN TOMATOES』を見たのは20歳くらいだったんだけども今になってみると、“何故、今、自分はロサンゼルスにいるのか?”とか、“何故、自分はアメリカンカルチャーにこんなに興味があるんだろう?” とか、その答えみたいなものがありますね。特に1920年代から1950年代にかけてのブルースとか、南部の鉄道やお店などに対して、(アメリカの)歴史に対して、物語以上にすごい興味があったのね。結果的には映画で描かれている問題は解決していないことだらけ。……ただ、それでも黒人の大統領が誕生したり、女性の副大統領が登場したりとか、少しずつ前には進んでいるとは思うけれども、人間は人間が頭で思うほど割り切れるものではなく、ホントに三歩進んで二歩下がり、時には四歩下がり、それでも時間は真っ直ぐに前に流れているという。

GLAY LAYER 5

人間の本質をアートに昇華させられたら

“自分は夢を叶えるんだ!”と無我夢中になること。それはとても美しくて、魅力的だけど、そこに“でも、俺には無理かも…”というのが加わるとブルースになる。世界は素晴らしいと思いながら、それこそ辞書で“悪魔”と引くと、それを一番体現しているのは人間かもしれないというところに至った時に、ブルースになるというかね。今はそういうことを歌いたいと思うんだな。GLAYは解散しなかったからこそ、この4人の人間関係の中で進めてきたからこそ、そこに至った。アルバム10枚で止めていたら、あとから振り返った時、“夢を高らかに歌う北海道出身の4人組”みたいなところで終わっていたのかもしれないよ。あえて“芸術”というちょっと恥ずかしい言葉を言うならば、人間の持っているものをアートにまで昇華できたらなって思う。それは20代、30代の時はまったく考えていなかったことだよね。

GLAY LAYER 6

「人間は最後に間違いを犯す」

人が間違いを犯すという事象と、それを本人ないしはその周りの人がどう思うかということはまったく別の問題ですよね。“人は間違いを犯すから、犯さないようにしよう”というのは人間の思考の中だけの話。どんなに安全運転をしたって事故はなくならない。そういうことが今回のアルバムのどの曲にも混在していますね。アルバムタイトルにもなっている“Freedom only”はCarpentersからの引用で(※「I Need to Be in Love」、邦題「青春の輝き」)、《Freedom only helps you say goodbye.》=“自由というものは、あなたがさよならを言うことにだけ手助けする”という、何とも芯を突いた一節に出会った時、“ああ、今、歌うべきことはこれかもしれない”と思って。諦めてもいなければ、認めるわけでもない。ただ伴走するというか、並走するというか、ただ付き合って、何となく上手いことなだめながら生きるということなのかなっていう。

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「ひとりの人間として感じたことを歌にする」

やっぱり“対GLAY”や“対自分自身”に関しては、世の中の流行り廃りが何であれ、自分が心から震えるメロディーやワードじゃないと、何かこう……恥ずかしくてメンバーの前には出せないという。だから、時々、振り切った社会性を帯びた曲が出て来るけれども、それは音楽人である前にひとりの人間として日々の生活で感じたことを歌にするのが自分の生業じゃないのかと思うからだし、(「FRIED GREEN TOMATOES」は)そう思ってきた時期のものでもありますよね。そういうのはあえて入れないと言う方もいますしね。時代性を感じさせると、簡単に言えば曲は古くなるし、永遠性が失われる。そう言う発言も見たことがあるけれど、俺らは真逆かもしれないですね。自分が何歳の時に何をやっていたのかということに対して素直というね。

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「人は気を付けながら進んでも間違えたり転んだりする」

“努力は必ず報われる日が来る”みたいなことをよく言うけど、絶対に人は鳥のようには飛べないじゃないですか? だけど、“いつか飛べる日が来る”みたいなことは言われる。俺はそう願うことを否定しない。“そうだね。いつかは飛べるかもしれないね。いつかは君の夢が叶うかもしれない”と言うけれども、時が経ち、現実として叶わないこと、その子が叶わなかったと思ったことは確実に存在するからね。改めて今、青春真っ盛りの子供たちを見ていると、“結末は分からない”と、“親たちは結末を知っている”という2つが混在するよね。あとになってようやく答え合わせをした時に、“あ、俺はあそこで間違えたんだ”と思う。でも、その時は間違えるなんて当然、分からないよね。人は気を付けながら進んで行くんだろうけど、それでもやっぱり間違えたり転んだりする。でも、それが人間のおかしみでもあると。

GLAY LAYER 10

「誰も罪深さ、残酷さを書いてくれない」

美メロに対して結構、残酷な言葉を乗せるのは、もう俺の性癖(笑)。(「BETTY BLUE」は)非常にゾクゾクしながらやりましたね。こうした面白さは、1980年代にUP-BEATの広石武彦さんなどから学びました。でも、これは俺だけが感じていることかもしれないけど、ここ何年間か、巷の歌を聴いていると、人間の感情みたいなものをざっくりと分け過ぎてて、“喜怒哀楽だけじゃないんだけどなぁ”という一リスナーとしての感想はあります。“励ますなら励ますでもいいんだけど、誰かを励ますことの功罪は描かないんだ?”とか、誰かに寄り添うことの罪深さ、残酷さというものも聴きたいなと。そう思った時、“誰も書いてくれないから、自分で書こう”というところはあったかもしれないですね。

GLAY LAYER 11

「“自分のための正しい音楽史”みたいなアルバム」

(「青春は残酷だ」のイントロは)いつものようにHISASHIに“いい感じにして”と丸投げしたら、こうなった。まぁ、その辺は彼なりのユーモアなんじゃないかと思って、そこはあえて何も言ってない。でも、あの“Asus4”は“もう皆のものだろう”みたいなところがあったんじゃないかな。今回は、自分たちの音楽の捉え方として、“自分のための正しい音楽史”みたいなアルバムがいいなと思ったから、“手触りはREBECCAにしてみよう”とかね。“青春”という言葉があるように、自分たちが青春時代に聴いてきた音楽的な背景なども織り交ぜながら…という。でも、青春だ何だという歌を、その真っ只中の人が歌っているわけじゃないからね。そこでの一抹の寂しさみたいなみたいなものは絶対にあって、俺はそれをセクシーだと思う。

GLAY LAYER 12

「“maj7”をようやく使いこなせる」

「青春は残酷だ」に関して言うと、自分にとってすごく嬉しかったのは“maj7”がいっぱい出てくることで。1990年代のGLAYでここまで“maj7”が出るのは「Miki Piano」くらいかな(※1996年のアルバム『BEAT out!』収録)。それでも、あれはほとんどメンバーは参加してなかったし、ビジュアル系出身であり、Nirvanaが好きで、好きなギタリストはNuno Bettencourtで…みたいな時のGLAYに“maj7”はなかなか馴染まなかったというか。甘くて軽い感じはするでしょ? 軽やかで、お洒落。それをようやく使いこなせるようになったなと。作曲としては30年近くかかった感じはあるよね。あのAメロに関しては、あの洒落た感じで進めることに、とっても喜びを感じてます。

GLAY LAYER 13

「言葉に出来ない人間臭さ」

ここ何年間か、いろんな人たちの歌詞を見ていると、人間の感情みたいなものをざっくりと分け過ぎてて、“喜怒哀楽だけじゃないんだけどなぁ”というのが一リスナーとしての感想はありますね。“励ますなら励ますでもいいんだけど、誰かを励ますことの功罪は描かないんだ?”とか、誰かに寄り添うことの罪深さ、残酷さというものも聴きたいなと思った時、“誰も書いてくれないから、自分で書こう”というところはあったかもしれない。作家としての部分で言うなら、言葉に出来ない人間臭さ…みたいなね。この間、『ONE LOVE Anthology』で「Christmas Ring」を改めて聴いたけど、《「それゆえに愛が深まる」と抱き合いながら うわの空》という歌詞があって、“えっ!? 愛してるの? 愛してないの? どういうこと?”という感じなんだけど、もし俺が映画監督なら、そういうハッピーエンドじゃない映画をいっぱい撮るんだと思う。

GLAY LAYER 14

「膨大な日本の音楽を自分の血肉に」

ギターに関して言えば、“TAKUROと言えばこれだよね?”というものは過去のアルバムにはひとつもないと自分では思っています。(プロデューサーの)佐久間(正英)さん監修の下から始まり、それを探す旅を20数年間やってきて、俺は今回のアルバムでようやく自分らしさ、“これが俺だ!”というものを手にした気がするんです。だから、今回はギタリストとしてのデビューアルバムにかなり近いですね。頭の中にある膨大な日本の音楽を情報処理して、自分の血肉として出せるようになった。それはJIROにも感じますけどね。亀田(誠治)さんと組んで4枚目、ベーシストとしてあそこまで歌えるというのは、JIRO自身がここ5年間くらいで手にしたシグネチャートーンじゃないかなと、個人的には思うんですけどね。

GLAY LAYER 15

「走馬灯のページをめくる」

コロナ禍は地球規模の災害、地球の危機と言っていいと思うんですよ。何百万人も亡くなっているわけだから。そうなった時、やっぱりおぼろげながら自分の今までを思い返して、その上、時間なんかもあるわけだから、過去に自分が作ってきた楽曲群を聴き直し、未発表のものをもう一度掘り起こし、ザックリ簡単に言うと、走馬灯のページをめくるみたいな感じではありました。そんな中で“こんなに自分の心に響くこの曲は、どうして当時リリースされなかったんだろう?”というものがたくさんあって。俺は過去の楽曲に対して、もう一回、語りかけたというか、会話を始めて、“どうしてこの曲がリリースされなかったのか? クオリティーの問題なのか? 時期の問題なのか? それとも自分自身の問題なのか?”ってじっくり考える時間があったんですね。